東大卒のプロ野球選手が戦力外の末に得た夢 教員・松家卓弘は人を育て地元に貢献する
しだいに本来の力を発揮し始めた。最速152キロのストレートと鋭く落ちるフォークを武器に、攻め続けた。その姿を見て、周囲は「そういえば松家は東大出身だったな」というように変わってきたのを当時チームメートだった私は記憶している。
2009年シーズン終了後にトレードで北海道日本ハムファイターズに移籍。1軍で登板していただけに、期待されていたが、早々に指先をケガしてしまった、これが引き金となり、以降は肩やヒジの故障を繰り返した。移籍してから3年目の2012年、この年での戦力外通告は誰の目にも明らかだった。
「戦力外通告が迫り、腐って辞めていく選手を何人も見てきた。俺は最後の最後まで野球選手らしくあることを決めていた。辞め方は俺にとってとても重要なことだった」
松家にとってプロ野球選手とは、どんな状況でも高みを目指し続ける人。たとえ「クビ」が差し迫り、それに気づいていたとしても、最後まで戦い続けた。そして同年10月、球団から戦力外通告を受けた。同じ日、日本ハムはリーグ優勝を果たした。テレビから流れてくる仲間たちの歓喜の中で、「野球をあきらめきれない」松家の野球人生は、いったんの区切りを迎えた。
いつも笑う人間がいたけれど
「日本ハムに行って、内部で人を育てないと組織は成長しないとわかった。外から人をとるのには限界がある。人の育成、教育、その領域にすごく興味があって、魅力を感じていた」
松家は現在、香川県立香川中央高校で教員の職に就いている。引退後、通信課程で地歴公民科の教員免許を取得。2015年度香川県教員採用試験を受験し、見事合格を果たした。
「東大受験のときと同じくらい勉強したよ」。笑いながら語るが、その年の採用が松家1人だったことを見ても、いかに狭き門だったかがわかる。
「大学生のときは、"都落ち感"があり、香川で仕事をすることなど、考えていなかった。だけど今は『俺が変えればいい』と本気で思っている」
熱を帯びた声が、誰もいない職員室に響き渡る。
「香川県知事や、香川県を牽引する人間を育てる。香川県を内部から変えていく。それが今の目標」
周囲の人間には笑われるという。しかし、東大に行くと言ったとき、プロに行くと言ったとき、教員になると言ったとき、そこにはいつも笑う人間がいた。その度に、「闘志」で切り開いてきた。それは、決して答えのある世界ではなかった。
「教員、めっちゃオモロイで!」
松家は前のめりになって話を続ける。職員室の外では、部活動の掛け声が響いていた。(敬称略)
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