小国さんがNHKの一員になることを予想することができなかったのは、誰よりも学生時代の彼自身だろう。当時小国さんは、パートナーと2人でベンチャー企業を立ち上げていた。ところが、あるとき小国さんの人生を変えるような事件が起きる。
「共同経営者がおカネを持ったままいなくなってしまったんです。当然出資者から預かった資金も返さなければならないし、自分も食べていかなければならないので、とにかく必死で働き口を探しました。ところが、就職活動を始めたときにはすでに大きく出遅れていて、テレビっ子だった私が行きたいと思った日テレやフジテレビの採用はすでに終わってしまっていたのです」
それまでは民放以外の番組はほとんど観たことがなかった小国さんだが、面接を重ねるうちに、NHKが錚々(そうそう)たるドキュメンタリー番組を制作していると知る。沢木耕太郎作品を愛読し、ノンフィクションが大好きだった小国さんは、しだいにNHKに対する関心を深めていった。
「その頃は頭の中が“社長失踪”事件の心配事で埋め尽くされていて、思わず面接官に実情を打ち明けていると、そのうち逆に『あれからどうなった?』と気にかけていただけるようになり、こちらから『やっと社長が見つかりました!』と報告していると、いつの間にか面接自体が事件の行方を追うドキュメンタリー番組のようになっていました(笑)」
当時の面接官は、真っ直ぐな小国さんに、ドキュメンタリー制作者としての適性を見いだしていたのかもしれない。NHKに内定した小国さんは、後にその道を歩むことになる。
しだいに膨らみ始めたモヤモヤ
小国さんが最初に配属されたのは、山形放送局だった。そこでまず、高校野球の中継から事件事故の取材まで、番組作りの基礎をたたき込まれる。その後、東京の経済社会情報番組部に移り、「クローズアップ現代」の担当を経て、約4年半ドキュメンタリー番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」「ドキュメント72時間」の制作に携わる。外から見れば、誰もがうらやむ輝かしい出世街道を歩んでいるかのように見えるが、この頃すでに小国さんの心の中には、1つの疑問が生まれていた。
「番組制作者としては、ある意味で命を削る思いで、心血を注いでテレビ番組を作っているつもりです。でも、それを観てもらえなければ、まったく意味がない。だから、もっと多くの人に番組について知ってもらう努力をする必要があると考えるようになりました。ただ、そうは言ってもすぐに行動を起こせたわけではありません。実際は番組制作に追われる毎日で、ずっとモヤモヤし続けていました。」
キングコングの西野亮廣さんは自著『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』(幻冬舎)の中で、コンテンツ制作が「出産」だとすれば、それを知ってもらうための努力をすることは「育児」だと語っている。小国さんもせっかく作った番組が「育児放棄」の状態になっていることに気づきながらも、作る以上の行動を起こせない実情に、もどかしさを抱いていた。
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