そして高校2年のとき、初めて映像作品を作った。
学校で文化発表会という催しがありクラスで何かをやらなければならなかったのだが、誰も意見を出さないので手を挙げた。
『売店の男』という20分弱の作品だった。
校舎の中にあるプレハブの売店にナゾの大男が出てジュースを奪うというウワサが流れる。それを聞いた生徒たちが、超能力者の力を借りて大男と戦うという話だった。
当時の編集はビデオとビデオをつないでダビングするという手間のかかる手法しかなかったため、想像以上に時間がかかって完成は翌年になった。しかし時間はかかったけれど完成した。
映画ならプロになれるかもしれないと感じた。
映画作りに活発なサークルがある大学へ
高校卒業後は映画の専門学校に行こうと思っていた。だが両親からは「どうしても大学に行ってほしい」と言われた。兄弟は誰も大学に行っていなかったので、末っ子である白石監督にはどうしても大学に行ってほしかったようだ。
九州産業大学の美術学科ならばデッサンだけで入れるのがわかり、入学した。
九州産業大学に入ったのには、もう1つ理由があった。以前、西日本新聞に映画研究部の映画製作活動が取り上げられていたのを目にしたことがあり、映画作りに活発なサークルがあるんだなと気になっていたのだ。
「入学後はすぐに映画研究部に入りました。高校のときまで、満足するまで映画の話ができる相手がいなかったですから、そういう人たちが何人もいただけで楽しかったですね」
映画研究部に入った後はすぐに映画を撮り始めた。最初に撮った映画は『出会い』という5分ほどの短編映画だった。高校時代に描いた『丸顔くん』の実写版といえる作品だ。男が歩いている途中にもう1人の男と出会う。そして問答無用で殺し合いになる。ただそれだけの映画だ。
当時ハマっていた『その男、凶暴につき』(北野武監督)に影響を受け、バイオレンスに傾倒した作品になった。
大学へは実家から通っていたが、すぐに友人宅を泊まり歩くようになり、ほとんど家には帰らなくなった。
大学2年生になって友人と共同監督で『エディプスの失敗』という映画を撮った。石井聰互監督(現・石井岳龍監督)が開いていた実践映画塾という活動の一環で撮った作品だった。
自主製作の映画監督が、わがままな役者やスタッフに翻弄されて、最後はブチ切れて暴力を振るうというストーリーだ。主役である、映画監督役は白石監督本人が出演している。
映画の構造としては『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』に近い作品だ。
ぴあフィルムフェスティバルに応募したが、2次審査で落選してしまった。
その頃、実家の家計が逼迫し親が学校に授業料を支払わなかったので、そのまま大学を退学になってしまった。ただ大学は首になってしまったけれど、映画研究部には行き続けた。めんどくさい授業を受ける必要はなくなっただけで、特に困ったことはなかった。
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