当初思い描いていたプロの道はこうだ。世界大会の優勝賞金や世界記録の賞金を獲得し、複数のパソコンパーツメーカーとスポンサー契約を結ぶ。ときにイベントなどに出演したり、製品を共同開発したりしてトータルの収入に上乗せする。いわば、ゴルフやテニスなどの個人競技のプロのようなイメージ。メジャースポーツほどの収入にならないまでも、生計を立てるには十分だろう。
その青写真にリアリティがないことはオーバークロック大会に参戦するようになって少しずつわかってきたが、完全に打ち破られたのは2013年の年末だ。上海で開かれたオーバークロックイベント「GALAXY GOC 2013」に参戦した清水さんは、そこでグラフィックスチップ「GeForce GTX 760」の世界最高スコアをマークして一躍注目を集める。4年の月日をかけてようやく摑んだ栄光だったが、その先に待っていたのは落胆しかなかった。
「世界記録を出しても賞金は1000ドル(約11万円)程度で、しかもチャリティイベントだったために全額寄付だったんですよ。メーカーからもスポンサーの話なんてなくて、仮に声がかかってもパーツを無償で送ってもらえるくらいで、資金援助されるわけでもない。このままじゃ確実に食えないということを痛感しました」
冒頭で触れたとおり、世界大会で優勝を狙うには300万~400万円相当のパーツを自前で調達する必要があるし、1リットルで500円程する液体窒素を数百リットルも使う必要がある。それでいてあまりにリターンが少ない。第一線で活躍している選手と交流するようになって、ある程度は状況が見えてはいたが、その高みに立ったうえで実感した空虚感といったらなかった。
「うまくいかないときって楽しい」
ただ、「うまくいかないときって楽しいんですよ」と語る性格。ここで折れない。
オーバークロックの腕をおカネに換える方法は、すでにひとつ身に付けていた。原稿執筆だ。2012年頃に秋葉原のイベントに参加した縁で自作パソコン系雑誌の編集者に声をかけられ、熱心なレクチャーのもと、プロのオーバークロッカーとしてパーツのレビュー記事を定期的に書くようになっていた。1記事数万円なので、月に10本書いてもまだまだ収支は釣り合わない。それでも堅い収入源であることには違いない。それに身に付けた伝える技術は収入源の拡大に大いに貢献してくれた。
典型例がイベントプロデュースだ。マザーボードメーカーやパソコン雑誌などが主催するイベントで、清水さんがオーバークロックに絡めたショーを披露するというもの。主催メーカーの製品を使ったチューニング術の披露や、防水処理したパソコン基板を丸ごと液体窒素に沈めてのクロックアップチャレンジなど、さまざまな切り口の企画を自ら提案し、実演するようになった。2014年後半から始めたビジネスだ。
「最初はNick Shihさん(世界的に著名なオーバークロッカー)から、突然『秋葉原でイベントやるから一緒に出て』というメールをいただいたのがきっかけでした。マザーボードメーカーの製品発表イベントでしたが、英語がわからないなりにNickさんの発言を訳したりステージでチューニングを手伝ったりと何とかこなしたら、方々から評価していただいて」
ショーとしての見せ方にはバンド時代のノウハウがある。そこにオーバークロックの知識と経験、ライターとしての情報の扱い方、さらに入念な準備も加わり、やるたびに高い評価を得ていった。以降は多いときで月に3~4本のペースで大小のイベントに関わるようになる。大規模なイベントなら報酬は材料費込みで50万円にも及ぶ。それが原稿料に上乗せされるようになった。しかし、まだ足りない。
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