31歳「パソコン改造を極める男」が創る稼ぎ方 世界で優勝しても食べていけない道の活路

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高校に入ると今度は音楽にどっぷりハマる生活になる。地元の仲間とロックバンドを結成してからというもの、日焼けが格好悪いからとバス釣りから急速に離れていった。入れ替わりで頭の中を埋め尽くしたのはドラムだ。ドラムの腕を上げるにはひたすら練習しかない。正確なリズムでできるかぎり速く、多彩な表現を身に付けるべく、音が出せる時間帯はひたすらドラムを叩き続けた。ステージの後方でも目立つようにと髪を赤く染め、学校にはあまり行かなくなり、成績は最底辺をさまよっていった。

名家の跡取りとしてみている祖父母からしたら由々しき事態だ。口頭で激烈に叱責されるのは日常茶飯事で、「昨夜、位牌が燃える夢を見た」「築きあげてきた清水家が云々」と書かれた手紙を受け取ったりもした。自由な生き方に理解のある両親ですら手を焼き、自部屋の荷物を全部玄関先に出されたこともある。しかし、激しめの反抗期を迎えていたこともあり、清水さんは意に介さなかった。いずれプロドラマーになると心に決め、ライブハウスでドラムを叩き続けた。

それでも中退とはならず、出席日数ギリギリで卒業した後どうにか地元の医療福祉系大学に進学する。そこには「潰しを利かせるために一応大卒を」という本人の計算もあったが、清水さんを大学に進学させるために両親と祖父母が用意した“餌”の存在も大きかった。通学用に買ってくれたスポーツカーだ。

このスポーツカーがまた清水さんの脳を埋めていく。大学入学後も基本的にはドラムを鍛錬する日々だったが、知人に元プロレーサーがいたこともあり、一時期はドライビングにも熱中する二足のわらじ状態になった。月に3回サーキットに行って全力でドライビングし、小遣いではまかないきれなくなったガソリン代やパーツ代はゲームセンターのバイトで埋めたりもした。

自作パソコンのオーバークロックとの出会い

しかし、やはりプロになりたいのはドラム。そう考えてクルマ熱は抑えるようになるが、大学生活が4年目を迎えた頃にまた別の誘惑が襲いかかってきた。それが今に続く、自作パソコンのオーバークロックだ。

「当時レポートを書くのに使っていたノートパソコンが滅茶苦茶遅かったんですよ。それで買い換えようとネットで調べていたら自分で組み立てられると知って、通販でパーツを買い集めたんですよね」

自作パソコンの組み立て方を解説するサイトを参考に見よう見まねで組み立てたところ、無事にWindowsが起動した。安堵したところでサイトのある項目が気になりだす。「オーバークロックとは」。

ドラムは卒業したが、考えるときにドラムスティックを持つクセは今でも抜けないという(撮影:村田 らむ)

なにやらCPUを載せた基板(マザーボード)の設定を調整すると定格仕様よりも処理能力が高くなるらしい。面白そうだ。まずはWindowsを起動する前の設定画面(BIOS画面)に入る。そのなかのCPUに関する項目を開き、クロックを極限まで引き上げて再起動。うまくいけばそのままWindowsが起動するので、チューニング専用アプリでCPUのクロックをチェックする。

確かに目に見えてクロックが上がっている。面白い! これで最後にパソコンに高負荷をかけるテストをクリアすれば、この設定でずっと使えるらしい。実行。……と、ここで基板から火花が上がり、パソコンが突然シャットダウン。基板から出た炎はすぐに消し止められたが、電源ボタンを押してもうんともすんとも言わなくなった。

これは、無茶なオーバークロックを施したときによくある失敗だ。発熱量や電力量が許容値を大きく超えたまま稼働を続けると、回路やパーツがショートしたり燃えたりして完全に壊れてしまう。オーバークロックは不可逆的な損傷と隣り合わせの自己責任の遊びだ。よく読むとサイトにもそう書いてあった。

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