経営についても同じです。経営者がしっかりと人間観を確立すれば、社員に対する見方も変わります。
「いいものをつくらなければならない」「いいサービスをしなければならない」ということも、「そうすれば、よく売れるから」「そういうサービスをすれば、お客が集まってくれるから」ということではなく、「お客様が偉大な存在だから、そういう存在にふさわしい良品を提供しなければならない」ということになるでしょう。
不正や不祥事もなくなる
社員に対しても、社長として、心の中で手を合わせながらの接し方になるはずです。「この社員も、あの社員も、自分にはない能力を持ったすばらしい人間だ、能力のある社員だ」「彼があまり成果を上げないのは、彼の能力を理解できていない社長の自分に責任がある」となる。こうなれば「役に立たないから人事異動!」という結論にはならないはずです。
また、社長が、そのような人間観をもって経営をすれば、不正や不祥事もなくなるはずです。「偉大なる人間は不正を行ってはいけない、不良品をつくって、お客様に提供してはならない、資格のある品質管理者を置いて最終検査をしっかりと行い、お客様だけでなく、多くの人たちに迷惑をかける事故が起こるようなことを断じてしてはいけない」ということになるのではないでしょうか。
「すべては偉大なる人間のために」ということです。そうした人間観があってはじめて、会社を「公のもの」と考えられるわけです。言い換えると、こういう考え方でなければ、真の経営はできません。
とはいえ、ここに書き記した人間観は、1つの人間観にすぎません。決して、これが最良最善の人間観だと申し上げるものではありませんが、いずれにしてもこれからの時代、技術が人間を超える時代が指呼の間でやってくる。それまでの、この時点でこそ、立ち止まって、経営者、指導者たる人たちは、「人間とは何か」「人間の本質とは何か」を自問自答してみる必要があるのではないかと思います。
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