――当時、中咽頭がんと診断が出て、撮影を中断しようとは思わなかったのでしょうか。
監督やスタッフ、僕も含めて、みんなでどうしたものかと話し合いました。僕自身、治るのかどうかもわからないから、続行するべきかどうか、悩みましたよ。でも僕は内心、監督は「やった、こんなドラマチックなことが起きちゃって。この映画、すごくいいものになるに違いない」と思っていたんじゃないかと思ってるんですよ。「そうなんだろ」と言っても、監督は「違う」と言っていますけどね。
――そこから1年たって。山田洋次監督(『母と暮せば』)やアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督(『レヴェナント:蘇えりし者』)とのお仕事で復帰することになりました。これは待望のお仕事、ということだったのでしょうか。
そこが微妙でね。山田洋次さんの映画は病気になる前からやることは決まっていたんで、これはやらなきゃいけない。まあのんびりやろうと思っていたら、そこにイニャリトゥの仕事が急に入ってきた。同時にふたつの映画音楽というのは、30、40代のときですらやったことがない。これはキツいなと。これをやったら、病気が再発してしまうんじゃないかと真剣に焦りました。
仕事からパワーをもらい、元気にしてくれた
しかし、イニャリトゥと一緒に仕事ができるというのは、一生に1度あればいいことだし、世界中の音楽家が望んでもできないこと。それが向こうからやってくれと言ってくれているわけだから、これはやるしかないと覚悟を決めました。
――でも終わってみたら逆にパワーをもらったとか。
終わってみたら、エネルギー値が上がってました。でも、やっている最中はダメでしたよ。何度も、もうクビにしてくれ、もう嫌だと思いました。けど終わってみたら、イニャリトゥの、メキシコ人の熱い血が入ってきたのか、それまでより元気になっていました。
――仕事からパワーをもらうタイプですか。
完全にそうだと思います。さっき、ひとりで創作をやっていると言いましたけど、コラボレーションも多いんです。音楽家とのコラボレーションも多いし、音楽以外のアーティストとのコラボレーションもあります。そうするとやはりインスパイアされるというか、刺激されるんですよ。それで自分のパワーを高めます。
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