《若手記者・スタンフォード留学記 2》 学歴とコネづくりに奔走する米国エリート学生たち
アメリカ人の学生は自立心が高く、周りに流されることなく、自らの生きる道を選択する--。アメリカ人学生に対し、ついこんな幻想を抱きがちですが、学生の就職活動に目を当てると、「寄らば大樹の陰」の傾向は日本にも負けません。
ハーバード出身のクラスメイトによると、ハーバードの学部卒業生の就職先は5、6割が金融。これは、そもそもハーバードは医学を除くと理系が弱いという事情もあるのでしょうが、それにしても金融への集中ぶりがすさまじい。
スタンフォードのある学部生は、専攻は映画で将来の夢は映画ディレクターなのに、就職の志望は投資銀行。理由を聞くと、「皆がそこを目指しているし、給料がいいから」とのこと。今年は金融不況なので、この流れが一時的に変わるかもしれませんが、エンジニアリング専攻の友人によると、「スタンフォードでさえも、起業家を目指す学生はあくまで少数派」というのが現実のようです。
ビジネススクールとなると事情は違うようですが、アメリカの有名大学の学生が、フロンティアスピリッツにあふれ、多種多様な職業を選択しているというのは幻想でしょう。もちろん日本でも金融は人気ですが、官庁、メーカー、商社、広告、マスコミなどなど、学生の就職先にはまだ多様性があります。
アメリカではむしろ、職業には明確な序列があるという感じを受けます。しっかりと決まったエリートコースがあり、そのポストを争って、激烈な競争が繰り広げられるといったイメージです。お金儲け大好き、競争大好き、という人にはスリリングは社会ですが、そうでない人にとっては、かなりつらそうです。
金融工学を学んだ学生が公務員になるというと、「イディオット(ばかもの)。なぜ金融で稼がないのか」と驚かれたそうです。それくらい公務員の地位は低い。というより、官民の人材交流が盛んなだけに、民で財を築いてから、政治任命で大統領の側近として公的セクターに入った方が効率的だということでしょう。こと学生の就職活動に限れば、「アメリカ=多様性」というのは、案外迷信かもしれません。
では、こうした日本人が抱くイメージからは意外な、アメリカの均質性の背景には何があるのでしょうか?
日本よりも学歴社会
それは、「お金が成功の基準である」といういたってシンプルな考え方でしょう。
多様な民族、人種が住むだけに、人間の価値を測る記号としての「金=給与水準」の重要性が高いわけです。もちろん、アメリカは多様であり、宗教に基づく禁欲的な精神も未だ色濃く残っていますが、資本主義の論理はいたるところに浸透しています。
しかも、学歴の重要性は日本以上に高い。アメリカは自由の国で、実力さえあれば、学歴にかかわらず出世できる--そんなのは幻想です。
とりわけ、ビジネススクールとロースクールの価値は日本とは比べ物にならないくらい高い。ビジネス界・政界で要職にありつくには、一流大学のMBA(経営学修士)や法学博士(ジュリスドクター)、もしくは、その他分野の博士号がないと、相当厳しいのではないかというのが率直な印象です。
過去の大統領と大統領候補を見ても、クリントン夫妻がイェール大学ロースクール、現在のブッシュ大統領がハーバードMBA、オバマ氏はハーバードのロースクール出身です。こうした学歴エリートに、対抗するのが軍の出身者。湾岸戦争を指揮した父ブッシュ、マケイン氏などがその典型です。
東大法学部を出るだけで出世コースに乗れる日本の学歴競争はまだまだ甘っちょろいのかもしれません。
徹底したコネ社会・アメリカ
正直、日本人の感覚では、「そんなに学歴を積み重ねてどうするの。もっと早く社会に出れば」と思うこともしばしばです。学者を目指しているわけでもないのに、学部を出て、大学院を2つ出て、というような人はザラにいます。