哲学者怒る「日本の公共空間はうるさすぎだ」 遅れた飛行機内での熱唱は「美談」なのか?

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実は、こうした「あああせよ、こうせよ」という放送が、もっともっとあるのですが、このすべてがヨーロッパの空港にはないのです。

ヨーロッパで注意喚起の放送がない理由

これは、趣味の問題ではなく、思想の問題でしょう。日本人は、老人、旅慣れない人、不注意な人など、「弱者」に視点を合わせ、注意放送によって彼らを救おうとする。

しかし、ヨーロッパでは、そうではなく、そういう「弱者」は自分で努力して事故や不注意を防ぐようにすべきだ、という思想が徹底している。キリスト教の思想が行きわたったヨーロッパで、弱者に対するこうした注意放送(看板)が皆無なのです。

それ以外にも、ヨーロッパには、床に敷き詰められた盲人用の黄色いポチポチがどこにも(電車のホームにも)ないし、障害者用の男子用トイレの鉄パイプもありません(私はこれまでこれを使っている人を見たことがない!)。じゃ、どうするのか? 近くにいる個人がそのつど助ければそれでいい。日本では、これが行きわたっていないから、放送だらけになるのです。

わが国では、周囲の盲人や車いすの人をよく見ず、率先して彼らを助けることをせず、みんなこうした観念的放送を観念的弱者のために必要だと思い込んでいる。そこで、私が「こういう放送は必要ない」と抗議すると、まったく意味がわからないということになるわけです。

次に、あえて言いにくいことを言いますが、これほどずっと前からありとあらゆる仕方で注意しているのに、それでも振り込め詐欺にかかる人は、(犯人が悪いのは当然として)その人も悪いのだと思います。にもかかわらず、パトカーで「振り込め詐欺に注意しましょう!」という大音響をまき散らして町内を走り周り、地域によっては、防災行政無線で注意を勧告することもあり、警察官が銀行のATMのところに待機していることもある。ほとんどの人は振り込め詐欺にかからないのですから、そういう人にとっては、騒音(耳障り)以外の何ものでもないのですが、現代日本ででは、こういう「思想」がまったく通じないのです。

私はこのことをかつて「優しさの暴力」と呼んで、そうした単行本も書きましたが、わずかの賛同者は得られましたが、「日本人を目覚めさせる」ことはできなかった。放送を流す側も聞く側も「善意」と確信しているのですから、それをなくすのは大変なことなのです。

というわけで、松山千春さんの「善意」ですが、少数かもしれないけれど。迷惑に思った人は必ずいるはず。私など松山千春って聞いたことがある、という程度の知識しかなく、彼の歌は何も知らない。それなのに、突如その歌を「聞かされる」ことに大いなる苦痛を覚えたことでしょう(私がその場に居合わせていたら、あとで必ず客室乗務員に訴えたと思います)。

松山千春さんがどのくらい有名なのか知りませんが、冷静に考えてみても、同じ時間に政治家が政見を述べても宗教家が講話をしてもブーイングが出るでしょうし、(そうでなくても)嫌がられるでしょう。まあ、毎日新聞によると、松山さんが、「出しゃばったことしているなと思うけど」と語っていたらしいことを知って、ちょっと救われましたが……。

中島 義道 哲学者

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なかじま よしみち / Yoshimichi Nakajima

電気通信大学元教授・哲学塾カント主宰
1946年福岡県生まれ。77年東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了。83年ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了、哲学博士。専門は時間論、自我論。2009年電気通信大学電気通信学部人間コミュニケーション学科教授を退官。現在は「哲学塾 カント」を主宰し、延べ650人が参加した。著書は『働くことがイヤな人のための本』『私の嫌いな10の人びと』『人生に生きる価値はない』(以上、新潮文庫)など約60冊を数える。

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