哲学者怒る「日本の公共空間はうるさすぎだ」 遅れた飛行機内での熱唱は「美談」なのか?

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空港、地下鉄のホーム、公共トイレ――。日本ではありとあらゆる公共の場で注意放送が流れます。弱者に配慮した取り組みですが、筆者は「優しさの暴力」と呼んで強く批判します(写真:Graphs / PIXTA)

これまで政治家のウソをテーマに連載を書いてきましたが、もうこれをテーマにしてもむなしくなるだけですので、この辺でやめにしようと思いますが、最後に1つだけ取り上げると、国会閉会中審議のはじめに神妙な顔つきでなした安倍首相の「お詫び」はとても感じの悪いものでした。自分の傲慢な姿勢のみ反省して、傲慢な姿勢の背景にある真実を追求する要求には一切答えないという「お詫び」でしたから。

お詫びからは「ソン・トク」ばかりが透けて見える

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一般に、お詫びしても実際の損失が何もないような場合、お詫びをすればトクだからという計算だけが透けて見えて、言葉はからからと滑っていきます。政治家だけではない。官庁や会社や病院などの、公式的お詫びはみんな同じであって、いまお詫びすればトクだから、いまお詫びしなければソンだから、という功利的計算のみ見えてしまう。

私は、よって、人間関係において、いかに相手から損害を受けたとしても、謝罪を要求することはほとんどなく、自分も真意の伴わない謝罪はしたくない。謝罪したほうがトクであることがわかっていればいるほど、謝罪するのには抵抗が伴います。人間は、そんなにすぐに自らの過去の行為を「反省する」ものでしょうか? 私の70年にわたる人生において、そうではないと断言できます。

こう言い換えたほうがいいかもしれない。われわれは、相手の足を思わず踏んでしまったとか、相手の名前を間違えてしまったとか、待ち合わせで相手を待たせてしまったとか……相手に軽い損害を与えたときは「心から」反省する。しかし、ある人を練りに練って振り込め詐欺でだました場合、練りに練って保険金目当てで殺してしまった場合などは、逮捕後ただちに反省するほうがおかしい。反省するとしたら、「捕まったこと」に対してではないでしょうか?

このことは、誰でも知っているのに、社会ゲームとして、被害者は直ちに加害者に「反省」を求め、それがないと「反省の声さえない」と怒り、では、と加害者が反省すると、今度は「まったく誠意が見られない、本当に反省しているとは思われない」と追及するのです。いわゆる「慰安婦問題」において、韓国(政府・国民)が、日本(政府・国民)の反省がまだ足りない、まだ足りない、まだ足りない……と言い続けているのも、同じ構図です。

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