フランスの子は勉強の際に「鉛筆」を使わない 間違いを消さない教育で身に付くものとは?
さらに、消しゴムによって、子どもたちが書いた内容を初期化させないことで、教師は子どもたちの情報のすべてを把握できるのです。プロセスも含めて“思考の進化”が記録されることで、子どもの個性までが筒抜けになるため、採点する教師としては的確な評価と指導が可能になります。
こうした考え方は、テスト問題の出題の仕方にも見られます。日本の小中学校の試験では、○×や、いくつかの選択肢から正解を1つ選ぶ問題などが多数を占めますが、フランスでは、試験科目に関係なく、ほとんどが記述式です。書くことに対する忍耐力や免疫力めいたものが養われ、いついかなる際であっても美しく書くことに集中できるようになります。これによって、美意識の形成に役立つのです。
一方、日本の学校においては小学校は鉛筆、中学校でもシャープペンシルなど、消しゴムで消せる筆記用具を使う人が大半です。「間違ったことを消して、なかったことにする」ことは、「みんなよくできました」の金太郎あめ式教育につながります。こうした考え方が、ひいては個性を抹殺して凡庸な集団への同調圧力となり、発達が少し遅れた子や感性の鋭い子にとっては命の危険さえもたらす悲劇として襲いかかるのです。
「答えさえ正解であればいい」と考えるのであれば、面倒な思考はしないほうが素直な“よい子”になります。“優秀な兵隊”は不平を言いませんが、創意工夫もできません。その結果、こうした社会はグローバリズムの網の目から脱落してしまうのです。
フランス人が消しゴムを使わないのは、学校の勉強だけではありません。たとえば過去の恋愛も、なかったことにはせず、斜線を引くだけ。昔の彼氏・彼女にばったり出くわしても、表向きはいたって普通に接するのです。
こうして「消しゴムを使わない生き方」を幼い頃から習慣としてすり込まれていくと、どんな人間になっていくのでしょう?
「消しゴム」を使わない生き方を続けると……
消しゴムを使わない生き方を続けていくと、「人生そのものがリセットできない」という思いをもつようになります。たった一度の人生、どうあがいてもやり直しはできません。コンピュータゲームとは違うのです。間違いを「あえて残して」進むことで、誰もが自分の負の部分も直視して歩き、それこそが人生なのです――ただし、人生には間違いも正解もありませんけれど。
自らの責任を引き受けて生きていくと、人間としての気概が養われていきます。自分だけの一度限りの人生を、自分を愛し、自分で受け止めるという気概です。自分を愛することで、他者にも他者の愛する人生があることを慮れるようになります。その結果、周囲により大きな愛を与えることができるようになるのではないでしょうか。
消しゴムで消す必要などない。コソコソするより潔くあれ! それが大人のセンシュアリティなのです。場数を踏んだ経験がものを言うのが人生。勇気を持ってまいりましょう。
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