”オッサン”である僕自身といえば、協力者を紹介した後は珍しく(?)、裏方的に雑用をこなしていた。女の子たちがワイワイと会議する中で議事録をまとめたり、企画がフワッと少し横道にそれそうになったら軌道に戻したり(考えてみれば、これらは、ふだん僕が周囲の人にやってもらっていることだ)。
もちろん、事業計画から原価計算、値段のつけ方にも目を通した。事業規模はさておき、ヤフーがかかわったプロジェクトとして、継続的にしっかり売り上げが見込める仕組みを作りたいと思っていた。
商品というのは、問屋を挟んだら大抵原価3割で作る。だから5.5割か6割で卸して、6~7割で販売に卸す必要がある。こうした原価計算の基本を教えてくれたのは、レイダースの鈴木孝宗さんだった。
「復興関係で商品を作る人は、そこをあまり考えないから、あとあと継続が難しくなる。そこは従来と同じような経済条件にしないとダメだよ」
ネット黎明期から石巻で通販を手掛け、震災で打撃を受けた後も復活し、現在も人気ネットショップを手掛けている鈴木さんの言葉には重みがあった。
たとえば、1300円で卸した商品を1500円で手売りにした場合、いろいろ手間がかかっているのに、売り手にはたった200円の売り上げしか入らない。こうした基本を抑えず、震災後に流行った震災関連グッズは「支援だから、そこはボランティアでやろう」という流れで世に出て行ったものが多い。その思い自体はすばらしいことだけど、震災から1年、2年と経つとそうもいかなくなり、商売が続かなくなるケースが多いのだ。
実際のピアス制作については、会津の木綿工場や東京のアクリル工場に皆でお邪魔して、職人の方々にピアスについて直接、相談をした。
試行錯誤を繰り返し、商品のピアスが完成した後は、最後に、商品コピー、パッケージデザインなどを決めるだけとなった。
発売開始予定日が近づいても、最後の最後のずばっとしたところになかなかたどり着けなかった。この最後のツメの段階において、僕らは原発のすぐ近くまでみんなで足を運ぶことにした。東京女子にも、ふくしまの現状を見てもらい、それを生きた言葉やデザインに反映してもらいたいと考えたからだ。
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