ジャパネット髙田明「私が新入社員だった頃」 バスから景色を眺めることも、勉強です

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Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.――

ってですね。電子辞書で英語の勉強をしましょうって、勧めていましたからね。

電子辞書の紹介で「リンカーンの演説」を再生しながら暗唱したら、注文が殺到(写真提供:ジャパネットたかた)

そしたら、その瞬間、注文が殺到したんですよ。学生時代に覚えた一節がすらすら出てきたことにも驚きましたけど、それが大ヒットにつながるとは、思いもよりませんでした。そのとき、東京の30分番組1回で、売上額が、なんと、1億円近くになりました。ここだけの話ですよ。

物心ついた頃から、青春時代、大学時代、海外駐在をしたサラリーマン時代の経験すべてが、今の私につながっているはずです。

私の大学時代をひとことで言うと、英語とパチンコとマージャンの日々でした。

就職活動の記憶はほとんどありません。漠然と英語を使う仕事をしたいとか、外国で仕事ができればいいなぐらいの気持ちはありましたけど、どこの商社に入りたいとか、具体的なことは考えませんでした。だから、今の就活とかそういう感覚はわからないんです。就職した会社で人生が決まるなんて考えてもなかったし、思いもしませんでした。

4回生になったら、大学でもクラブでも先輩にあたる義理の叔父に誘われて、会社にアルバイトに行っていました。貿易部でコピー取りなんかの雑用でした。英語のマニュアルとか契約書とかを見るでしょう。電話でも英語が飛び交っていて、格好いいなって思いました。半年ぐらいアルバイトして、そのまま入社することになりました。いつか海外に行ければいいなぐらいの気持ちでした。京都の阪村機械製作所という会社です。

入社2年目でヨーロッパに駐在

阪村機械製作所は国内有数のネジ製造機械メーカーです。ボルトフォーマ―とかナットフォーマーを製造して、国内だけでなくアメリカやヨーロッパに輸出していました。アフリカにもお客さんがいました。私は英語力を買われての採用でしたから、貿易部に配属されました。最初は外国のお客さまのお世話をしたり、英文の手紙を書いて送ったり、営業事務の仕事をしていました。

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