ジャパネット髙田明「私が新入社員だった頃」

バスから景色を眺めることも、勉強です

入社した翌年の夏、突然、社長から「髙田君、行ってこい」って言われたんですよ。ヨーロッパです。うれしかったですよ。そんなに早く海外に行けるとは思っていなかったからですね。海外旅行に行くといったら、親戚一同が駅や空港に見送りに来ていた時代でした。そのくらい外国は遠かったし、あこがれだったんです。

アメリカ経由で行きました。それが初めての外国でした。ロサンゼルスです。速いなって、思いました。英語を話すスピードですよ。聞き取るのが難しくて、やっぱり学校で学んだものとは速さが違うと思いました。

カルチャーショックも受けました。ホテルでプールに行ったら、若い男女がプールに飛び込んで笑っているんですよ。映画を見ているみたいでした。オハイオ州のクリーブランドに行ったときは、バーでバーボンウイスキーを飲んだんですよ。サントリーの角しか知らないでしょう。ジョニ黒なんていったら夢のまた夢ですよ。当時は高かったからですね。それがバーボンでしょ。アメリカに来たんだなって、しみじみと思った瞬間でした。

アメリカからドイツに飛んで、ドイツのホテルを拠点にして8カ月間、ヨーロッパに駐在しました。

日本に帰ったのは歯が痛くなったからなんですよ。歯医者さんに行っても治らなくて、堪(たま)らないほど痛いんですよ。それが本社に伝わって、帰って来いって、なりました。歯が痛くならなかったら、もっといたかもしれませんし、そのタイミングで帰っていなかったら、そのまま会社にいて今の道には入ってないかもしれません。運命っていうのはわからないですね。

共産圏の国で通訳の仕事を経験

ヨーロッパでは200回以上飛行機に乗るくらい、あちこち飛び回りました。ハンガリーでしょう、ポーランド、東ドイツ、チェコ、イギリス、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギーって、ほとんどの国に行きました。いろんな経験をさせてもらいました。

国によっては、商談の最中からワインを持ってきて飲むんですよ。一気飲みがルールで、どの国も同じなんだって思いました。フランスではフランス語が話せるのがうれしくて、結構通じるって悦に入ったりしました。ドイツには長くいたから、ドイツ語を覚えてやろうと思ったりもしました。片言は今でも覚えています。

イギリスではパブに行きましたし、オランダで飾り窓を見たり、どんなことにも刺激があって楽しい毎日でした。そうそう、ドイツにいたときに、ミュンヘンオリンピックがあって、バレーボールで日本が金メダル取ったでしょ。思い出は尽きません。

主な仕事は通訳でした。共産圏の国にもたくさん行きましたけど、共産圏の国では機械を輸入するのは政府でした。民間ではないんです。機械を輸出したら、現地の工場に設置して、製造したネジを検品してその国の規格にマッチしていることを確認してからでないと、代金を支払ってもらえないんですよ。

それで、技術者と一緒に行って通訳するんです。私が日本語を英語にして、向こうの通訳がそれを現地語に訳してって、通訳が2人入って機械のテストをしていました。ハンガリーに行ったときは、日本語、英語、ドイツ語、ハンガリー語って、通訳が3人入って商談したこともありました。

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