反対を押し切ってサラリーマンから監督に就任
楠木:どうして早稲田を選んだのですか?
中竹:早稲田大学のラグビー部には、高校生の全日本に選ばれたことがあるなど、優秀な選手が全国から集まります。ですが、無名の選手であっても、実力が伴えばどんどんレギュラーに抜擢されるという話を聞いていたのです。私は、主将になった4年生のときはレギュラーではありませんでした。
楠木:それでも主将に選ばれたのはどうしてですか?
中竹:早稲田の場合、ラグビー部の主将というのはOB会が決めるシステムになっていました。当初、別の4年生が主将に内定していたのですが、ほかの4年生全員が反対をしたんです。いわば、学生のクーデターです(笑)。それで、同期の仲間が選んだのが私だったのです。
楠木:人望がありすぎた。それから、10年ほど経って、早稲田大学の監督になったのはどんな経緯ですか?
中竹:監督も、基本的にはOB会が決めます。ただ、私の場合は、前任の清宮克幸(現・ヤマハ発動機監督)が私を強く推したようです。
楠木:中竹さんは、大学卒業後、イギリスの大学院に行かれて、その当時は三菱総研でコンサルタントをされていました。なぜ、清宮さんは中竹さんを選んだのでしょう。
中竹:早稲田大学では、ラグビー部の監督になっても、給料などは出ません。監督を辞めた後も、何ら身分の保証はない。清宮は、「お前なら監督を辞めた後も、どこかで働けるだろう」と言っていました。おそらく、それが最大の理由だと思います(笑)。
楠木:わりといい加減だけど、本質的な理由ですね。それまでビジネスマンとして働いていて、指導者としての経験は中竹さんにはなかったわけですよね。
中竹:そうなんです。
楠木:OB会は反対しなかったのですか?
中竹:もう大反対ですよ(笑)。OB会の中には、私が主将になったときのクーデターに遭った人もいましたので。また中竹かと。
楠木 それを清宮さんが説き伏せたわけですね。
中竹:そうです。清宮は、学生時代もプレーヤーとしてすごい選手でしたし、早稲田の監督としても黄金時代を築きましたから。
楠木:でも、中竹さんは早稲田の監督としても、U-20(アンダー・トゥエンティー)監督としても結果を出したわけですから、清宮さんは指導者としての中竹さんの資質を見抜いていたことになりますね。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら