しかも、副作用も現れない。すい臓がんの臨床試験で使っている白金製剤のシスプラチンはがん治療に広く使われているが、腎毒性が非常に強く、通常なら患者は入院して、水を1日3リットルも摂取させられる生活に耐えなければならない。しかし、高分子ミセルを使った患者は水を摂取する必要も入院も必要ない。闘病中も、患者はQOL(生活の質)をほとんど下げずに済むのである。
すい臓がんをはじめとするさまざまながんへの高分子ミセルを使った治療は、大学発の研究としては珍しく、実用化に向けて着実に歩を進めている。臨床試験には、少数の健常者を対象とする第Ⅰ相から、製薬会社主導で50億~100億円をかけ、500人規模の患者を対象に効果を調べる第Ⅲ相まで3段階ある。
第Ⅲ相に入れるかどうかが実用化に向けての大きな山場となるが、片岡教授の研究は着々とそこに近づいている。
例えばパクリタキセルという抗がん剤を使った再発乳がんのミセル治療は、昨年8月に第Ⅲ相に入っている。シスプラチンを使ったすい臓がんのミセル治療も、この7月に第Ⅲ相に入った。SN-38という抗がん剤を使い、大腸がんを対象にしたものが第Ⅱ相、そのほか抗がん剤のダハプラチン、エピルビシンを内包したミセルによる治療が第Ⅰ相。片岡教授の下、全部で5種類もの臨床試験が進行中だ。
片岡教授がこれほど臨床応用に積極的なのは、若手研究者時代の医師の一言が背景にある。
「(工学博士号を取って助手として就職した)東京女子医科大学の日本心臓血圧研究所で基礎研究をしていた僕は、『10年先にこういうことができればいいでしょう』と無責任に思っていました。すると、隣の心臓外科医に怒られる。『明日患者が死ぬかもしれないのに!』と。
これはなかなか新鮮な問題提起でした。心臓外科医に言われた瞬間、いつまで経っても5年先、10年先と出口を先送りにしていては、目標が蜃気楼になってしまうと悟り、臨床に使われるようにするにはどうしたらいいかを、もっと真剣に考えるようになりました」
なぜ、副作用が起きないのか
高分子ミセルはどうして難治性のがんにも効果があり、副作用も起きないのか。それは、高分子ミセルが優れた薬の運び屋で、抗がん剤をがん組織にのみ高濃度で届け、正常細胞にはまったく影響を与えないからである。
高分子ミセルが血液に乗って体内を巡るとき、正常細胞の組織はそのまま通過する。一方、がん組織では毛細血管の壁がスカスカになっており、高分子ミセルが隙間からがん細胞に侵入。ミセルはがん細胞内ではじけ、抗がん剤を集中投下する。この方法だと通常投与の10倍もの抗がん剤ががん細胞に集積するため、効き目が強力だ。
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