日米首脳の蜜月こそが日本経済の「足かせ」だ

米国の戦略目標は、再び「日本封じ込め」へ

1989年には日米構造協議が設置され、貯蓄・投資の不均衡、土地利用、流通制度、内外価格差、企業系列、排他的取引慣行までもが対象となった。その結果を受けて、日本は大規模小売店舗法や独占禁止法の改正を行った。

この頃から日米交渉は、個別品目ごとの協議ではなく、国内の法制度や商慣行に対する露骨な内政干渉と化していった。そうなった背景もまた、地政経済学的に理解しなければならない。

1985年、ミハイル・ゴルバチョフがソ連の書記長に就任し、ソ連の脅威が大きく後退した。日米同盟はソ連および日本の「二重の封じ込め」であるが、ソ連の脅威が後退したので、米国の戦略目標の重点は日本封じ込めへと傾いたのだ。

さらに冷戦が終結すれば、日米同盟の主たる存在意義は日本封じ込めとなる。

実際、1990年、在日米軍基地司令官のヘンリー・C・スタックポールは、「再軍備して復活した日本など、誰も望んではいない。だからわれわれは、ビンの蓋になっているのだ」と発言している。

また、1992年に米国防総省が作成した「1994~99年のための国防プラン・ガイダンス」は、ライバルとなる大国の出現を阻止することを第1の戦略目標として掲げ、もし東アジアから米軍を引き上げたら、日本が東アジアを不安定化させるだろうと警告を発している。

「属国」化を招いた構造改革

この冷戦終結後の日本封じ込め戦略の経済版が、一連の構造改革要求である。

1992年、ブッシュ政権は輸出振興法を制定し、貿易促進調整委員会の下で包括的な輸出促進戦略を行う方針を打ち出した。続くクリントン政権は「経済安全保障」を掲げ、国家安全保障会議と並んで、国家経済会議を設置した。そして対日貿易赤字の削減を目指して、1993~94年の日米包括協議を実施した。そこで米国は、対象分野ごとの数値目標の設定を要求し、スーパー301条の枠内での協議とすることを求めるなど、かつてなく強硬な姿勢で臨んだ。

これら一連の経済交渉とは、日本封じ込め戦略に基づいていた。現に、当時の米国通商代表部(USTR)代表のミッキー・カンターは、「冷戦終結後の国家安全保障は米国の経済力に懸かっている」と述べていた。

こうした日米経済交渉を通じた米国からの構造改革要求は、その後も、1997年からの日米規制緩和対話、2001年の日米規制改革および競争政策イニシアティブ、年次改革要望書、さらにはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)へと続いている。

もっとも、この間の日本は、規制緩和や自由化、グローバル化といった構造改革こそが経済成長のために必要だと信じるようになり、米国の要求をむしろ積極的に受け入れ、自ら進んで構造改革を実行するようになっていた。おかげで日米経済摩擦もほぼなくなり、日米関係は改善した。

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