「鳥貴族をつくった男」の知られざる悪戦苦闘 脱チェーン店理論で作りあげた儲けの仕組み

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とはいえ、大倉が開業した第1号店の「鳥貴族 俊徳道店」は大家が、「誰が何をやってもはやらない」というほどの三流立地だった。家賃が月4万3000円と安いのが取り柄だったが、よほどインパクトのあるメニュー提案をしなくては、集客は難しかった。大倉は「鳥貴族 俊徳道店」に価格破壊のPOP広告を貼って、「居酒屋革命」を宣言した。「焼き鳥屋で世の中を明るくしたい」「焼き鳥屋で世の中を変えたい」と願ったのである。

夢は大きかったが「150円、250円、350円の3本立ての均一価格」には損をしたくないという思いがにじみ出ていた。その結果、顧客吸引力が弱く、閑古鳥が鳴く日が続いた。開業から1年数カ月間は倒産と隣り合わせの切迫した状態が続いたのである。

マージンミックスの考え方を導入

大倉をこのとき救ったのが清宮勝一(故人)著の『居酒屋ビッグ・ビジネスへの戦略発想 外食産業のニューリーダーが初めて明かす』(1985年4月刊)であった。清宮は居酒屋「村さ来」(現ジー・テイスト傘下)の創業者で日本料飲コンサルタンツ社長であった。大倉を思想的に支えたのがダイエー創業者の中内の著作集であったとすれば、店舗運営面のヒントを与えたのが清宮であった。清宮はこの著書でマージンミックスの考え方を紹介した。

清宮は1973年に東京・世田谷区経堂に居酒屋「村さ来」1号店を開業した。アイデアマンの清宮はレモン、グレープフルーツ、オレンジなどシロップで味付けした酎ハイ(焼酎ハイボールの略)を多数開発した。そして原価率の高いビールを原価で売って損を出しても、原価率の安い酎ハイを売って儲けるやり方を編み出した。「それで利益が出なくなったらビールは値上げせずにお通しで100円取れ!」というのが清宮の考え方だった。

清宮は飲料・フードメニューのトータルで利益を出すという当時としては画期的なマージンミックスの方法を実践した。こうして「村さ来」は「イッキ飲み」に代表される酎ハイブームをつくった。これに洋風居酒屋「つぼ八」などが加わり、全国の居酒屋を巻き込んだ空前絶後の居酒屋ブームが起こった。「村さ来」は最盛期FC中心で全国に960店舗展開した。

「村さ来」が破綻したのはFC本部が独立者の信用保証をするなど、銀行から無理な借り入れを重ねたからだ。1991年のバブル崩壊を引き金に「村さ来」は経営不振に陥った。「村さ来」はその後経営権を売却しながら存続、現在はジー・テイスト傘下で営業を続けている。

大倉は清宮の著書に触発され粗利益率の高い商品と低い商品とを組み合わせて販売し、一定の粗利益率と客単価の確保を狙うマージンミックスの考え方を導入した。大倉はこのときから、儲けようという欲求より先に「お客様が喜ぶメニューづくり」に全力を傾けた。大倉は国産新鮮鶏肉を店内で串打ちしていたが、従来の焼き鳥店が1本25グラム、原価率は28%前後で提供していたのに疑問を持った。国産ブロイラーの新鮮鶏肉は大きめに串打ちしたほうがジューシーでおいしかったからである。

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