「鳥貴族をつくった男」の知られざる悪戦苦闘 脱チェーン店理論で作りあげた儲けの仕組み

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ダイキチシステムは独立開業を希望する人に「大吉流ノウハウ」を3カ月間研修させた後、加盟金150万円で開業を支援するFC方式だ。焼き鳥専門の単一業態として全国展開する。「自分自身が汗を流して働く生業(なりわい)商売」なので、店は10坪20席の小型店で、家賃は12万円がメド。投資額も少なくて済む。店長が厨房から1人で店を全部見渡せ、最低2~3人で運営できるというのが標準的な店づくりだ。

大倉は元FCオーナーの下で店舗開発・運営、焼き鳥を焼くなど焼き鳥屋経営のすべてを学んだ。「焼鳥道場」で修業したことが、大倉の「鳥貴族創業の原点」である。

第1号店「鳥貴族 俊徳道店」の開業

1985年、大倉は25歳のとき、150円、250円、350円の3本立て均一料金の焼き鳥専門店「鳥貴族 俊徳道店」(約9坪、27席)を個人創業した。立地は近鉄大阪線の乗降客数の非常に少ない、俊徳道駅前商店街で、鳥貴族の第1号店である。

なじみの「全品230円均一」の炉端焼き屋を参考にして、飲料・料理メニューを開発した。総投資額1200万円。自分の貯金200万円と、父親が家を担保に借金して1000万円を用意してくれたのが元手だ。最初は全品250円均一にしようとしたが、ビールの原価が200円程度もして250円均一では赤字になると判断、350円均一メニューを加えた。もちろんお通しなしの明朗会計だ。

当時の焼き鳥屋といえば赤提灯に縄のれん、炭火で団扇(うちわ)を使って焼き鳥を焼くので店内は煙がモーモーと充満した。店はカウンター中心で、客は中年の男たちばかり。大倉は中年男のたまり場になるような焼き鳥屋ではなく、若い男女が来店できる「明るくオシャレな焼き鳥屋」を目指した。当初ガス焼き台で焼いていたが、電気グリラーに切り替えた。

大倉が価格破壊の焼き鳥屋で勝負を懸けたのは、居酒屋市場の中では焼き鳥屋の市場がいちばん大きく、成功する確率は高く、チェーン展開しやすいと考えたからだ。

大倉は読書家だった。焼き鳥屋を始める前、ダイエー創業者の中内功の流通革命に魅かれ、中内の著作をすべて読んだ。中内の著作を通し価格破壊、創造的破壊、そして標準化、単純化、専門化して直営・FC方式で店舗を増やしていくというチェーンストア理論を学んだ。

中でも大倉の人生を左右するのが、『わが安売り哲学』(1969年刊)であった。中内は、「メーカーから価格決定権を奪い返す」と宣言した。大倉は中内の流通革命論に身震いするほど感銘を受けた。そして大倉は中内の流通革命論を焼き鳥屋で実践しようと考えた。それが価格破壊の低価格均一業態であった。大倉は鳥貴族の第1号店を出したときから100店舗、500店舗、1000店舗のチェーン店を創ろうと思っていた。顧客本位、薄利多売のビジネスモデルを構築すれば実現できると確信していた。大倉のこの志の高さこそ、鳥貴族が成功した最大の要因である。

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