(第14回)阿久悠の履歴書5--上村一夫とビートルズとの出逢い

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●「僕が作詞家になれたのはビートルズのおかげです」

 二人の若き遍歴時代を、太い一本の柱とする小説『無名時代』は、昭和41年6月29日、ザ・ビートルズが台風の影響で予定よりもはるかに遅れ、午前3時半過ぎに羽田空港(成田空港はまだなかった!)に到着、翌日、日本武道館で最初の公演が行われたという記述で締め括られている。

 これもまた、阿久悠という作詞家の誕生にとって、意味深長な事実だった。
 インタビュー「歌謡曲の向こうに昭和という時代が見える」(『阿久悠 命の詩』所収)で、彼はこう語っている。

 「僕が作詞家になれたのはビートルズのおかげです。ビートルズの出現で六〇年代半ばにエレキギターの楽器革命が起こりました。それまで楽器はプロでなければ扱えなかったのが、エレキブームでギターが普及して誰でも扱えるようになった。やがてGS(グループサウンズ)の一大旋風が起こると、彼らの曲作りに参加するかたちで、フリーランスの作詞家や作曲家が続々と参入してきました」

 7年間のサラリーマン生活を経由して、ようやくこの波に乗った、自称「遅れてきた作詞家」阿久悠は、こうしたビートルズ現象の一端を、「日本の音楽のビッグバン」と呼んでいる。

 既成のレコード会社の専属制度に対する、事実上の"秩序破壊"が、公然と行われるという椿事(ちんじ)が発生したのである。

 作曲家も含め、曲作りのチャンネルが切り替わってしまうほどの"音楽産業革命"である。
 レコード会社の専属社員でもなければ、大御所の鞄持ち上がりでもない、阿久悠的なフリーランスたちの才能とアイデアがなければ、このニュー・ウェーブに乗ったエレキサウンドを市場化することなど、実際不可能だったのだ。

 最良の意味での、アマチュアの時代の到来である。

 そうした非メジャー系のキャリアの持ち主に、作詞家では橋本淳、安井かずみ、なかにし礼、山上路夫、作曲家では三木たかし、都倉俊一、中村泰士、川口真、森田公一らがいた。まさに百花繚乱(りょうらん)の勢いである。

 阿久悠を含めた彼らは、だが、ただの秩序破壊者ではなかった。

 重要なのは彼ら一群のヤング・ジェネレーションが、「GSを足がかりに歌謡曲の世界にも新しい風を吹き込むことになる」(『「企み」の仕事術』)、その多種多才ぶりであった。
 これらの人々は、GS旋風が音楽業界を吹き抜けたあとに、改めて昭和・戦後の歌謡曲の革新者として、立ち現れてくるのである。

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