大阪名物「あみだ池大黒」の知られざる大進化 粟おこしの老舗が挑む「アメリカの家庭の味」

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岩おこしと、粟おこし(写真:あみだ池大黒 提供)

「どうも、関西人のシャレで、もっと固いおこしを作ろやないか、ということから生まれたようです」

おコメをさらに小さく砕いて固くし、黒糖を使ってショウガを入れ、甘さの中にピリッとした味を加えています。筆者などは十分に固いと思うのですが、小林社長は「年配のお客さんからは、昔に比べると柔らかい、砂糖、ケチってるんやないか、と言われます」と笑われます。それでも売り上げは、岩おこしのほうが粟おこしより多いそうです。

戦時中、軍艦からの注文は伝書鳩が伝達

なにせ創業200年以上ですから、いろいろなエピソードがあります。明治37年、日露戦争のとき、明治天皇から戦地の兵隊さんに配られる菊の御紋章入り“恩賜のおこし”の注文を賜りました。その数なんと35万個。当時は当然、機械化などされていません。すべて手作り。社員全員、不眠不休で作ったそうです。

そして第2次世界大戦中、ユニークな注文の承り方法がありました。大阪湾に軍艦が寄港しますが、停泊期間は限られています。そこで、高速艇で各軍艦を巡って注文を取り、その注文書を伝承バトで店に伝達していたそうです。

「当時はこれが最速の方法だったんです。曾祖父が家で伝書バトをつがいで飼っていました。注文書を付けた伝書バトは、家にいるツレアイ目がけて帰ってくるわけです。新聞社が、記事の伝達に伝書バトを使っていたことからヒントを得たそうです」

そういえば昔、筆者が新聞記者時代に、会社の屋上で伝書バトを飼っていたのを覚えています。必要は発明の母。苦心の知恵で伝統がつながってきました。

でも小林社長は「伝統は大切ですが、それにとらわれてばかりではいけません。若い方々にもおこしを食べてもらいたい」と考えました。そして味を洋風にした新商品を開発します。ただ、社内では「おこしとして認めてもらえない」と反対も多かったといいます。しかし、攻めは最大の防御です。粟おこし、岩おこしと言わずに、おいしいと思うものを押し出そうと心を決めます。

そう思ったものの、最後の難関は新商品のネーミングでした。4つの案に絞られ、その中には、小林社長の父・隆太郎氏(当時の社長)、小林社長、そして担当者がひそかに心に決めた名前もありました。ところが社員投票では意見が分かれ、どの案も均等に票が入ってしまいました。ショックだったのは、小林社長たちの腹案だったネーミングが若い社員にはまったく不評だったことでした。

12種類のラインアップがそろった『pon pon Ja pon』(写真:あみだ池大黒 提供)

決めあぐねた小林社長は、家に帰って奥さんに相談します。そして最後の1票が入ったのが、現在の商品名『pon pon Ja pon』だったのです。男性社員はその名前に、みな首を傾(かし)げたそうですが、女性社員の間では好評でした。ターゲットは若い女性なのだから、彼女たちのフィーリングに合う名前がいいのかもしれない。そう思った小林社長は、12種類の『pon pon Ja pon』のラインナップをそろえます。ただ当時、90歳を超えた小林社長のお祖父さんは、新商品のお店を出すのを「大丈夫か」と最後まで心配していたそうです。

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