信玄餅に秘められた誕生と成長の意外な真実 老舗「桔梗屋」はどうやってファンを作ったか
インターネットの普及に伴う通信販売の発達によって、全国どこにいても地方の銘菓・名産品が手に入る時代となった。地方の銘菓を販売する企業は売り上げを拡大できる一方、競合他社も増え、以前にも増してPR・ブランド戦略がより重視されている。
そんな全国で勝負する名高い銘菓の一つが、山梨の代表的な銘菓「桔梗信玄餅」だ。明治22(1889)年創業である老舗の桔梗屋が製造・販売する。今や1日10万個を売り上げる大ヒット・ロングセラー商品だ。
今回、TBSテレビジョブチューン取材班は3月12日(土)よる7時~放送の「全国の大人気おみやげのヒミツぶっちゃけSP」の制作に当たって、桔梗屋の中丸輝江社長と相談役を務める中丸眞治さんを取材。桔梗信玄餅の歩みを追った。
武田信玄ブランドで年商が6倍増
桔梗信玄餅が生まれたのは昭和43(1968)年。当時の洋菓子ブームに対抗すべく開発された商品だった。餅づくりはもちろん、黒蜜もとろりとした独特のコクと風味、味わいがあり、一味違った舌触りを持つ。開発当初から変わらない風呂敷は女性の手によってひとつひとつ心を込めて結ばれている。
実は、この桔梗信玄餅は名前に大きな秘密がある。「信玄」と銘打っているが、戦国武将である武田信玄とは何の関係もないそうだ。武田信玄が餅を好んで食べたという歴史的な事実は一切存在しない。開発者の中丸さんは「山梨県を代表するお土産になって欲しいという願いを込めて、山梨を代表する武将・武田信玄の名前をお借りした」と話す。
しかし、偶然にも、この信玄の名前を拝借したことがキッカケで桔梗信玄餅は全国区の銘菓へと知名度をあげることとなる。