グローバル化が進む中、親たちは、子供を世界で通用するエリートに育てるため、日々、努力を重ねている。しかし、若手マザーの中には、子育ての仕方がわからず、周りの助言にも恵まれないケースも多い。そこで、一般的な家庭ながら、子供を国際弁護士、国際金融マン、海外著名大学教員、公認会計士に育て上げた著者が、読者の皆様からの子育て相談に回答する。
前回に引き続き、今日のエリート大学生がどんな家庭教育を受けてきたかを考えます。
【早稲田大学 Aさんからの寄稿文】
私の両親の教育方針は、「社会に反しない程度で、可能なかぎりの自主性を認める」というシンプルなものであったと思います。なので、今まで私がやりたいと言ってきたことに対しては、反対こそすれ、極力実現できるように配慮してくれました。
たとえば、高校受験で県外の高校を受けると決めたときや、大学受験に失敗して浪人のために上京すると決めたときなど、両親はそれらを実現するために一生懸命働いて資金を捻出してくれました。私はそのような両親の背中を見ているので、下手なことはできない、いつか恩返しをするぞ、という気になり、モチベーションにも火がついた思い出があります。
なので、そういった両親の教育方針が有効だったかどうかはわかりませんが、私がもし親の立場に立つなら、やはり同じように子供を育てるのではないかと思います。
なぜなら、子供にも思いや夢があり、親はそれを最大限サポートして、自己実現を可能にする環境を作ってあげるのが仕事ではないかなと思うからです。なので、もし、私が全国の父母の皆さんにアドバイスするとしたら、「子供の好きなようにさせてください。そのサポートをしてあげてください」と伝えるだろうと思います。
<パンプキンからのコメント>
現実は、信頼するに足る子息ばかりではない
私も一時期まで、親の苦労を見て育っている子供たちは皆、その苦労に報いようとまじめに働き、親を思うことを通して、弱者の痛みに心を寄せることのできる優しい心根の持ち主に育っていくものだと、信じて疑いませんでした。
ところが世間が広がっていくにつれ、そうでもないことがすぐに判明しました。せめて教育費だけは、裕福な家庭の子と差をつけたくないと、仕事や家計のやりくりで無理をしてでもおカネを捻出してくれる親心を逆手にとって、予備校代だとか教科書代といっては親からおカネをせびり、遊興費に使っていた例を少なからず見聞するようになったからです。
そのような横着な子を、「信じる」という形でおカネを与え続けた、親の罪のほうが大きいと言うと、「親が信じないと誰が信じる? そんな悪い子ではない」とか、「疑うことで、親子関係が気まずくなるのを恐れた」「親のおカネの工面が足らなかったせいで、一生のチャンスを逃したと言わせたくなかった」など、言い訳も歯がゆく、一生信じて生きなさいとだけ言ってやります。
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