子供の性格を見極めて教育するのは親の責任 子育てに絶対的なマニュアルはない

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卵が先か、鶏が先か?ー鶏が先に決まっている

極端な言い方をしますと、昔はお金持ちの子といえば、極楽トンボ(裕福さにかまけて努力しない)が通り相場でした。今日ではむしろ、裕福な家庭の子弟の頑張りは普通ですし、そうでない子弟の頑張りでは到底追いつけない分野も広がっているようにさえ見えます。格差社会のレベルで申し上げているのではなく、“努力”面で申し上げています。裕福な家庭の子弟がその裕福さに甘んずることなく、勉学にいそしみ、自信を持ってキャリアアップを図っていく様は堂々としていて、多少の失敗をものともしない逞しさがあります。

世の中には何事も例外があり、一般化できませんが、多くのケースで裕福な家庭は、その家の夫婦かどちらか一方、または先代の仕事面でのたゆまぬ努力や誠実な人生の形跡が見てとれるものです(もちろん不当に財をなした成金も存在するのですが)。

結果的にその家庭に生きる「努力」や「誠実性」が、自然に子息に伝わるからではないでしょうか。成功と幸福の正の連鎖とでも申しましょうか(不真面目な親から大成した人もゴマンといますので、これだけが真実とは言えませんが)。

経済的に豊かでない家庭でも、親が誠実に努力を怠らず生きておられる家庭では、親が信頼するに足る子息が育っているものです。親が誠実に生きるということは、子への愛情もまやかしのない誠実なもので、悪が入り込む隙間がないということです。

最初に挙げました悪例をみますと、どちらかに劇的な変化がないかぎり、ずるずるといまだに80代の親が60代の子に貢ぎ続け、親子で借金ずくめ、共に身動き取れない状態になっています。

子供の成長期に、たとえ仕事だったとしても、あるいはほかのことに関心が向き、子供を放任したか、厳しさを伴う真の愛情でない偏愛で育てたか。はたまた怠惰でいても生活できた人の“背中”をみて育ったか。負の連鎖も根深いのです。このような人たちは決まってその理由を他人のせいにしたり、どこでどうなったかわからないと言ったりしますが、他人からみれば一目瞭然です。鶏が先か卵が先か。鶏に決まっています。

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