中国語教育はよりいっそう大事
言葉が状況とセットになっていることは、日本語の場合でも、敬語を使うときと使わないときがあるのを考えていただければ、おわかりになると思う。
英語不要論者がよく言うのは、「英語をやると、日本語独特の敬語ができなくなる」だが、これは以上の理由からありえない。もし、敬語が不得手なら、それはそういう状況を経験しなかったからだ。日本人でも敬語が不得手な若者がいるのだから、英語とは関係ない。
そういうこともあって、私は前回の記事で、早期英語教育もいいが、現在のような日本人教師が、単に英語の授業を週1コマやるというやり方では、効果がないと述べた。そんなことをやるなら、数学でも理科でも英語で教えたほうがいい。あるいは、「ノー日本語デー」にして、英語だけの日を設けるのもいいと述べた。
つまり、英語を話す状況を作り出すことが先決なのだ。そうして、英語を話せるようになれば、子供たちは、英語と日本語を相互に高めながら育っていく。
言語習得には早期教育が欠かせないのは、英語ばかりではない。どんな言語でも同じだ。たとえば、中国語でもそうである。しかし、英語不要論者は、中国語となれば、もっと反対するのだろう。彼らは自国至上主義者が多いので、英語でこれだけ反発するのだから、中国語となれば、その比ではないはずだ。
しかし、中国が大国になり、日本とこれほど軋轢がある現在、中国語教育はよりいっそう重要だと思う。英語と同じく、早期中国語教育があってもいい。
私は、中•高でまったく無意味な漢文教育をやるくらいなら、小学校高学年から、選択科目でもかまわないから中国語を教えるべきだと思っている。しかし、そんなことを言ったら、彼らは烈火のごとく怒りだすだろう。
冒険投資家のジム•ロジャーズ氏が、シンガポールに移住したことは有名である。その理由のひとつは、自分の娘に中国語を早いうちから覚えさせるためだ。彼は、娘に中国人のナニーを着け、現地のインターナショナルスクールに通わせている。
娘をとおして考えさせられたこと
中国語に関して言うと、私は娘が中国語(マンダリン=北京語)ができるようになったために、あらためて考えさせられたことがある。
娘は大学時代に半年、大学院時代のほとんどを中国で過ごして帰国し、しばらくして日本で就職試験に臨んだ。このとき、私は就職試験でよく出題される四文字熟語を徹底して覚えるように娘に言った。それで、出題されそうな四文字熟語を家内が紙に書き出して、壁に張った。そうして食事のたびに、「これの読みは? 意味は?」と家内が娘に聞いた。
ところが、やってみて驚いたのは、娘が四文字熟語を、中国語で読んでしまうことだ。たとえば、「四面楚歌」を、「スーミィェンチュグェァ」と読んでしまう。「“しめんそか”と読めないの?」と聞くと、「いや、先に中国語のほうが出てきちゃう」と娘。
それで考えたのは、これは間違いとは言えない。むしろ、もともと中国の故事成語なのだから、絶対にこちらのほうが正しいということだった。
ただ、これでは就職試験に落ちてしまうのは、間違いない。
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