日本という国は、どんな外国語も日本語化してしまい、元の言語とは違うものにしてしまう。そういう国である。英語にしても、発音をカタカナ読みで日本語化してしまい、そのうえ勝手に和製英語も作ってしまう。言語に限らず、外国文化を取り入れて自国製に作り替えてしまうところがある。
実はこれが、日本人が外国語がうまく習得できない大きな原因だと、私は、このときあらためて気がついた。
私は漢詩が好きで、特に李白が大好きだ。李白のいくつかの詩は暗記している。しかし、これは日本語の文脈で暗記しているだけで、中国語としてではない。暗記しているのに、本来の読み方も発音も知らないのだ。
これでは、それが本当に好きだと、どうして言えるだろうか?
そう思って以来、私は李白を「りはく」とは言わず、「リーバイ」と言うようにした。そして、暗記した漢詩もなるべく中国語発音で読めるように切り替えた。
英語に話を戻すと、現在、日本で行われている英語教育は、英語に名を借りた日本語教育なのである。だから、これをいくら早期教育で始めようと、英語ができるようにはならないだろう。
言語はそれが使われているかたちで、そのまま受け入れていくしかないからだ。
言語とはアプリの一つ
実は私も、娘の日英ちゃんぽん言葉を聞いて、英語不要論者と同じような不安を抱いたことがある。しかし、それを知り合いで、言語を研究していた大学教師に言うと、次のような説明が返ってきた。
「こう考えるといいと思うね。人間の脳は、コンピュータにたとえるとハードディスクだ。ただ、コンピュータはハードディスクだけでは仕事ができない。アプリケーションが必要だ。このアプリをインストールする必要がある。言語とは、そうしたアプリのひとつだとね」
「なるほど、そうすると、日本語とか英語とかいろいろな言語アプリがあるというわけだ」
「そうだ。この言語アプリのインストールは早いほどいい。そうでないと脳が固まってしまい、インストールしてもうまく作動しなくなるのだ」
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