人間は、いやなことを言われて、向上しようとする人は少ない。いいところを褒められたら、よし、がんばろうと努力する。それが人情やな。山本五十六という人が、「してみせて、言って聞かせてさせてみて、ほめてやらねばひとは動かじ」と言ったそうやけど、そのとおりやね。
けどな、この、褒める、ということを、よう考えておかんと間違えるわけや。この、褒めるということは、叱らんと、相手に注意もせん、言うべきことを言わんということではないんやな。
それはどういうことかというとね、褒めるというときに相手の、たとえば部下やね、部下の人の、その本質をどう評価しておるかどうかということや。その人の本質をまったく評価しておらん、これはどうにもならん奴だと考えて、でも褒めんといかんということで、褒めると。しかし、これは褒めるということにはならんわな。
口だけで褒めても部下は育たない
根底のところで、こいつはアホやなあと思いながら、口では褒めるとしても、これではわしの言う、褒めるということにはならん。けどな、本質的に相手の能力を認めておる、高く評価しておる、しかし、この人のために、この部下の持っておる能力を引き出してあげるために、叱ってあげよう、注意をしてあげようということになれば、これは叱るということではないわね。
人間というのは誰でもそうとう大きな力というか、能力を持っておるんや。見た限りでは、たいしたことないと思われる人でも、そのじつ、たいへんな力を持っておるんや。いまは見えんけれど、現れておらんけれど、そういう能力を持っておるんやな。そういうことを、よう考えたうえで、部下を見んといかんわな。
この人は、わしよりもええ面を持っておる、相当な力を持っておる人や、と思って、わしは部下の人と接してきた。まあ、きみも、偉大な力を持っておるんやね、いまは現れておらんかもしれんが。ハハハ。褒めるということ、叱るというとは、そういう意味やね。
ところが実際にはそうではないわけや。褒めるということを、口だけでやっておる。それで、褒めても部下は育ちませんという。当たり前やわな。本質的に褒めておらん。にもかかわらず、口だけで褒めると。それで部下が育つということはないわな。
そういう考えで、部下を口だけで褒めておると、部下もだんだんとこの上司は口だけで、ほんとうに自分を評価しておるんではないということが分かってくる。だから、部下は育たんばかりか、その上司を信用せんようになったり、反抗的になったりする。まあ、逆効果やね。
けど本質的に評価しておれば、叱っても、注意をしても部下は、うん、そうや、自分が悪かった、と素直に反省できるし、みずから向上しようと努力するようになる。そればかりか、叱ってもらってありがたい、ということにもなる。叱って、かえって喜ばれる。そういうことをな、部下を育てるときに、きみ、よう考えておかんとあかんよ。
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