リベラルアーツカレッジで受ける授業 膨大なリーディングと、活発なディスカッション

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

初めは、わからない単語の意味はすべて辞書で調べ、すべての文章を理解しよう、と努めていたのですが、あまりのリーディングの多さに挫折しました。しかし、学期が進む中で、実際そうする必要もないことに気つきました。

日本の英語の授業では、文章すべての単語を理解する精読が中心でしたが、アメリカの大学の授業で必要とされる予習は、リーディングの要旨理解と解釈です。知らない単語が出てきても、同じことを違う言い回しで述べていることも多いので、ある程度の長さを読めば、要旨をつかめます。

ただし、リーディングをするときに重要なのは、読みっぱなしにしないことです。授業で問われるのは、リーディングをすべてこなしたことや、すべての意味を理解したことではなく、それを基に授業中に自分の意見を言えるか、ということだからです。ここで、私の失敗から学んだ事例を紹介します。

読んでいるだけ、わかっているだけでは不十分

中国史の授業では、事前にディスカッションの質問が教授からメールで送られ、実際の授業では、教授が指名したり、学生が手を挙げたりする中でディスカッションが進められます。

ある日、私は「そろそろ自分も当たるのでは」と思い、かなり前から授業の準備を始め、すべてのリーディングをこなし、自信満々で授業に臨みました。しかし、読みっぱなしにしていたために、実際の授業では、読んでいた文献の内容がうろ覚えになっていました。そのために、授業中にある文献に関する質問をされたとき、間違えて別の文献に書かれていたことをぺらぺらと話してしまいました。その結果、”It’s the opposite. Did you read the text?(それは反対だよ、君は教科書を読んだか?)”と教授に言われてしまいました。

自分の予習の成果がまったく出せず、落ち込んでしまって、授業の後半のオープンディスカッションでは、せっかく用意していたことを言う気になれず、黙っていました。読んでいるだけ、分かっているだけでは不十分で、リーディングを基に実際の授業で、自分の意見を正しく発信することが必要で、そうでなければここでは評価されないんだ、ということを痛感しました。

次ページ日本と違う、数学の教え方
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事