仕事は一本に絞らずに奔放に生きたい 麻雀講師&ネイリスト女性の生き方

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――お久しぶり。何を飲む? 僕はとりあえずビール。

私はハイボール。食べ物は任せるよ。

――ヒビノでは何年働いたの?

22歳から36歳までだから、14年間ですね。でも、30代後半になると営業の第一線で働くのは難しく感じるようになった。課長や部長になるなら別だけどね。私のお客さんはレコーディングスタジオやテレビ・ラジオ局のスタジオで働く人たちだけど、あの業界は「立場を問わずに先輩を尊敬する」のが当たり前なの。業者である私のほうが職歴や年齢が上になっちゃうと、お客さんがやりづらくなってくる。

母親も歳をとって結婚相談所の仕事を引退したがっていた。私はこれまで東京でやりたい放題に暮らしてきたから、愛知に戻って一緒に住んでもいいかなと思ったの。マンションで飼っている2匹のワンコの世話を焼く人を増やしたいのもあったけどね。

――仕事自体は面白かった?

うん。達成感があった。(以前に販売した音響機器の)メンテナンスのタイミングを見計らって、会社ごとのキーマンに働きかけて契約更新をもらったりする。私は雇われることがあまり向いていない性格だと思うんだけど、やりたいようにやらせてくれる会社だったから14年間も続いたんだと思う。私より職歴の長い女性の営業マンはいないよ。

――愛知に戻っても、音響機器販売の経験を生かそうとは思わなかったの?

生かせるかな? そんな発想はなかったよ。音楽は好きだけれど、機材にはあまり興味がないのかもね。

音楽は趣味で続けている。知り合いに誘われてバンドのボーカルもしているよ。バンド名? 「MSPJ」だよ。「松田聖子プロジェクト」の略(笑)。今度、東京でライブもやる。

麻雀との出会いはスーパーファミコン

――健康麻雀を始めようと思ったきっかけは?

麻雀との出会いは早いね。亡くなった父が麻雀好きだったから。15年前にガンで亡くなったんだけど、入院中にあまりにも暇だったらしくてNINTENDO64(スーパーファミコンの次世代機種)でずっと麻雀をしていたのが印象的だった。ルールが面倒くさそうだったから、私はそのときは覚えなかったけどね。

健康麻雀を始めたのは3年ぐらい前。東京の蒲田に住んでいたとき、近所に健康麻雀の教室があった。会社と自宅の往復生活に飽きていて、1時間でもいいから気分転換がしたかった。だから、フラーっと入ってみたの。

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