テレサ・テンという、アジア最強コンテンツ 死後も10億人を魅了する魔力

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一方、日本において、テレサ・テンはレコード大賞の新人賞や3度の有線大賞を獲得するなど活躍したが、トラブルにいつも巻き込まれる“悲劇のヒロイン”というイメージがある。

思い起こされるのは1979年に起こした偽のパスポート入国事件だ。成田空港からインドネシア政府発行のパスポートを使って日本に入国した彼女は身柄を一時拘束され、強制退去処分を受けた。日本中が大騒ぎになり、しばらく日本での活動自粛を余儀なくされた。

また、42歳の若さでタイ・チェンマイで急死した際も、殺害説が取りざたされた。その分、日本ではテレサ・テンに対する硬派ジャーナリズムの関心が高く、有田芳生『私の家は山の向こう~テレサ・テン10年目の真実』や平野久美子『テレサ・テンが見た夢」など、中国や台湾にもないような客観的にテレサ・テンの生涯を追った著作がそろっている。

鄧小平と並ぶカリスマ

中国において、テレサ・テンは1980年代に始まった改革開放の象徴であった。台湾の大陸向けラジオ放送から流れるテレサ・テンの歌声に、革命歌に聞き飽きていた大陸の人々の心はとろかされたのである。テレサ・テンの歌声は「靡靡之音(退廃的な歌)」と呼ばれて取り締まりの対象になったが、人々は深夜にラジオの音にこっそり耳を傾けた。「昼は鄧小平の話を聞き、夜は鄧麗君の歌を聴く」「中国は2人の鄧に支配されている」などと言われるほどだった。

2010年、北京にオープンしたテレサ・テン記念館(写真:ChinaFotoPress/アフロ)

現在、中年層以上の中国人が、台湾人や日本人以上にテレサ・テン崇拝しているのは、テレサ・テンの歌を通じて自由世界の雰囲気を感じ取った、強烈な体験が影響しているのである。テレサ・テンの存在が最も強く刻み込まれているのは、テレサ・テンが一度も行くことができなかった中国かもしれない。

そして、成人したテレサ・テンが長く暮らした香港では、テレサ・テンをほとんど香港人のような親しみを持って見ている。1989年の天安門事件のとき、香港の群衆の前に立って抗議の声を上げた彼女を、香港の人々は毎年6月4日が来るたびに思い出す。

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