苦境エピソードなんて4ページで限界……!
現代でも『はじめの一歩』の幕之内一歩や、『史上最強の弟子ケンイチ』の白浜兼一のように、努力型の主人公は健在です。
ですが叩き上げキャラクターが最も輝いた時期は、おそらく戦後日本の成長期とともに過ぎ去った。どうやらバブルの後半あたりから「主人公=努力型」という公式に変化が兆していたように思います。
よく言われることですが、現代の読者には、そもそも特訓エピソード自体あまり歓迎されない。重いタイヤを腰にくくりつけて走りこみをするなんて論外です。そのために書き手も、何巻にもわたってつらい下積み時代を描写するといった方針は採らなくなってきました。
こうした傾向は何も子ども向けの話だけではありません。先日、ある青年漫画誌の編集者が「昔なら展開上、主人公が離職など厳しい状況に陥っても4話は引っ張ることができた。今じゃ4ページが限界だ」と漏らしていました。確かに現代の読者は、登場人物の苦境をあまり喜ばない傾向にあるようです。
また、努力の積み重ねをひっくり返してしまう超常的能力を、突如発現させる展開もよく見られます。そうしたスーパーパワーのことをネットでは「チート能力」と呼びますが、こうした用語が成立した背景には、現代の創作物に異能力が、それだけ確かにあふれているという事情がありました。『ワンピース』の主人公ルフィも、悪魔の実を食べて異能力を発現させたキャラクターです。
さらには「ルールひっくり返し型」キャラクターの台頭にも現代性を感じます。努力、才能といってもそれはゲームの皮相の話。ゲームのそもそもの成り立ちを解き明かし、効率よく勝ち抜くことを目指すキャラクターが、現代ではしばしば人気を博します。
たとえば漫画家を目指す少年たちを描いた人気漫画『バクマン。』の主人公は「自分たちが何を描きたいか」より「いかに効率よく連載を勝ち取り、人気を獲得するか」の研究に力を注いでいたように見えました。
みんなが同じ目標を目指していた時代とは違い、現在ではライフスタイルが多様になった。それに伴って主人公像も複雑になった。
主人公のほうがむしろ天才だったり、秀才キャラクターを、天才が追い詰めていったりするなど、さまざまなパターンが描かれるようになりました。
生活が変わると、価値観も変わる。そうすると人が憧れや共感を抱く対象にまでも、変化が訪れる。主人公像の変容から社会の価値観の変化を感じます。
(担当者通信欄)
考えてみれば、スポ根漫画には親しまずにきました。私の場合ですが、読んでいるうちに苦しくなってしまい……主人公がスポーツを頑張っていても無理なく読めた例外は、バレエ漫画やフィギュアスケート漫画でしょうか。努力型は努力型でも「特訓系」でなく「前向きに頑張る系」が少女マンガには多かったような気がします。『君に届け』や『はいからさんが通る』などなど。漫画の世界に、知らず知らず、夢と癒しを求めてきたということなのかもしれません。
さて、堀田純司先生の「夜明けの自宅警備日誌」の最新の記事は2013年3月11日(月)発売の「週刊東洋経済(特集は、1億人の税)」で読めます!
【「体罰」に見る日本のリベラルの課題】
「統治には武力が必要」?子どもと国家の行動は、人間の真実が真実が如実に表れるという意味で共通しています。一貫して自衛隊と米軍基地縮小を訴えてきた日教組は、「体罰」問題、それでいいのか!?
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