「体罰」に見る日本のリベラルの課題

「左の人」に矛盾あり?嫌いなはずの「統治には武力が必要」思想

学校のせいにしない、学校に多くを期待したりもしない

著者:堀田純司(作家) (撮影:今井康一)

教師の体罰が問題になると、反省を促す論調とともに、その反作用のようにして「しかし体罰なしの教育はありうるのか」という現場の困惑も伝えられます。

昨年12月に大阪市立桜宮高等学校で痛ましい事件が起きました。その後も、体罰と暴力の境界で苦悩する教師の声がメディアで報じられ論議を呼んでいます。

私個人の意見を正直に先に言っておくと、現代では教育も体罰ではなく、「自己責任原則」で判断するしかない。授業を受けずに損をするのは本人だし、もしほかの生徒の迷惑となるのであれば登校を停止するしかない。

また問題行動が犯罪の域に至れば、躊躇なく司法の手に委ねるしかないと思っています(それは教育の現場をガラス張りにしてしまうことにもつながります)。

結局、信条というものは個人のライフスタイルと密接なものなので、私のように高校を中退し大検で進学した人間は「学校のせいにしない代わりに、学校に多くを期待することもしない」という思考に傾きがちになるのでしょう。

しかし私などはそれでいいのですが、一貫して自衛隊と米軍基地の縮小を訴えてきた日教組にとって「どこまでが体罰なのか」と悩む教師の声が出てくるのは、それでいいのか、信条と矛盾しないのかと、聞いてみたい。

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