日本のレフトは理想ばかり、現実を見てこなかった?
なぜならば「体罰を行使しなければクラスの秩序が維持できない」という思考は、左の人がいちばん嫌う「統治には武力が必要」という思想以外の何ものでもないからです。
これは極論でも揚げ足取りでも何でもありません。
たとえば「生徒に切々と訴えるだけでその行為をやめさせられるのか」という教師の問いかけに対して教育界はどう考えるのか。
「対話には限界がある。秩序維持には武力(体罰)が必要」
これが人間の現実であるのなら、国際社会において「対話を繰り返しても理想は実現しない。非常に残念ながら時には武力も必要」という思考もまた、現実であるはずです。
この二つを並べるのは決して極論ではありません。子どもと国家の行動は人間の真実が如実に表れるという意味で共通しています。
日本の左は武力の行使という現実を自衛隊と米軍に負わせて、しかもそれを心のどこかで低く見ていた。この構図は、教育の現場で武力の行使を「体育教師」に任せ目をつぶっていた状況とそっくりです。
私はリベラルを攻撃するためにこんなことを言っているのではありません。私自身は、子どもの頃日本の教育、特に体育教育の封建的な面が嫌で、ある部活動から逃げてしまったことがあり、それが原体験となって、現代のような時代でも「少し左」であり続けたいと思っています。
しかし日本のレフトは、理想ばかりで現実を見てこなかった。ここにリベラルの評価が地の底まで落ちてしまった原因があると感じ、このようなことを書いています。
スーパーリベラルで知られるオバマ大統領は、同時にパキスタン領内でのビンラディン攻撃を決断し、また共和党政権以上に、無人機による武力の行使を実行したリーダーでもある。
また環境への影響が懸念されるシェールガスの開発も進めている。「現実の苦みをかみしめながら、理想を抱き続ける」のがリベラルの一つのあり方だと感じます。ただあえてとことん理想を貫くという道もある。問題はその覚悟です。どこまで覚悟があるのか。それが問題です。
(担当者通信欄)
ふと、給食を残させてくれない先生のクラスにいた頃を思い出しました。食が細く、苦手な食べ物の多かった担当者(当時小学生)は涙目。昼休み終了までごはんを食べ続けることもしばしでした。幸い、好き嫌いは高校時代のある日突然なくなりましたが、子供の頃の体験は記憶に残るもので、まして体罰やいじめのような問題であれば深刻さは計り知れません。教育の現場で、人が無駄に傷つけられることのないよう願うばかりです。
さて、堀田純司先生の「夜明けの自宅警備日誌」の最新の記事は2013年3月18日(月)発売の「週刊東洋経済(特集は、入門日本経済)」で読めます!
【個人が日本語に新語を付け加える現代】
「ドキュン」という言葉をご存じでしょうか(覚えていらっしゃいますでしょうか)?テレビ番組の「目撃!ドキュン」から生まれ、匿名掲示板文化の中に育まれ人口に膾炙した言葉。…という認識でしたが、実は陰の立役者の存在が!ネットが普及し新たなサービスが生まれる現代、これからの日本語はどうなるのか?
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