元スプリンターのすごすぎる「会社員人生」

ケンブリッジ飛鳥を五輪に導いた"仕掛け人"

富士通を退社後は、ハローワークにも通ったが、当然、200mの実績(日本選手権2位など)は評価されなかった。スポーツ関係の仕事を探していたものの、紹介されたのはスポーツインストラクターのような仕事が中心だったという。

結局、大前は高校で講師をしながら、3年間競技を続けた。しかし、原因不明の膝痛が完治せず、スパイクを脱ぐことに。北京五輪が開催された2008年のことだった。それから8年。大前は意外なかたちで陸上界に姿を現すことになる。

「陸上なんてやらない」企業に転職

オリンピックという夢を果たすことができなかった大前だが、陸上競技への情熱は衰えることはなかった。

「現役を退き、自分のなかで悶々としていた部分があったんですけど、スポーツに携わる仕事がしたいなと思っていました。ドームを選んだ理由ですか? 陸上をどうにかできないかなと思ったんです。ドームは陸上の要素がゼロの会社だったので応募しました」

 陸上関係の仕事をしたいなら、アシックスやミズノなど陸上ギアに力を入れているメーカーへの就活を考えるのが一般的だが、大前の発想は逆だった。「プロモーションを含めて、ゼロから陸上にチャレンジしたい!」という熱い言葉で採用を勝ち取り、2011年5月に入社した。

2008年から開設されたドームアスリートハウス

とはいえ、ドームは元スプリンターの大前を将来の陸上部発足に向けて、採用したわけではなかった。それどころか、会社内で「陸上競技」を売り上げにつなげようという考えすらなかったという。

そして、大前はスポーツマーケティング部に配属される。有力チームなどに〈アンダーアーマー〉や〈DNS〉のサプリなどを紹介して、自社製品をプロモーションする仕事をこなしていた。それがロンドン五輪イヤーの2012年から、自社が開設しているドームアスリートハウスで、陸上の有望選手がトレーニングするようになり、そのタイミングで社内に陸上部があってもいいのでは? という話が浮上したという。そこに学生時代、400mハードルで活躍していた選手が入社した。その選手にできれば競技を続けたいという意向があったこともあり、ドームトラッククラブが創部。大前がその“責任者”になった。

「気づいたら、陸上部ができて、携わることができたんです。僕はそこをピンポイントに目指していたわけではありません。ただスポーツに携わる仕事のなかで、陸上に深くかかわりが持てればいいと念じてきました。それが思いがけないかたちで、一番の理想形になった。あり得ないと思えたことがあり得たんです」

では、どうやって、不可能を可能にしたのか。

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