地球の裏側から届く“ビッグニュース”を日々、待ちわびている方もいるだろう。「オリンピック」という響きに、日本人はすこぶる弱い。普段はほとんど目にすることのない競技も、オリンピックになると“ビッグゲーム”に変身する。
そのことを知っているからこそ、アスリートたちは4年に一度のチャンスに魂を削っているのだ。そして、「メダル」を獲得すれば、その快挙は日本列島を瞬く間に駆け抜ける。今年の夏も数々のヒーロー、ヒロインが誕生している。
しかし、オリンピックでメダルを獲得したからといって、その後の生活が「安泰」といえるほど人生は甘くない。4年前、8年前、12年前のメダリストたちをどれだけ覚えているだろうか(ちなみに日本はロンドン五輪で38個のメダルを手にしている)。当たり前だが、一瞬の輝きだけでは食っていけない。
むしろ、現役時代の活躍がまぶしいほど、その後の「仕事」はやりにくい部分もある。今回はリオ五輪を“裏側”で盛り上げている、ふたりの女性オリンピアンの言葉から、アスリートのセカンドキャリアを考えてみたい。
嫌いだった水泳が好きになった
20年前のアトランタ五輪に、日本人選手団最年少の14歳で出場した青山綾里(現姓・西澤)を覚えているだろうか。1996年4月の日本選手権100mバタフライを58秒83の日本新で優勝。同年のアトランタ五輪を世界ランキングトップで迎えて、金メダルの期待をかけられていた。現在は34歳になり、産経新聞社の運動部記者として活躍している青山が振り返る。
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