オリンピック出場者の意外な「第二の人生」

セカンドキャリアでも輝くために必要なこと

「それまでは泳ぐたびにべスト記録が出るような状態で、泳ぐことが楽しかったんです。春に日本記録を塗り替えて、世界ランキングでもトップ。オリンピックに行きたいという夢がかなって、たくさんの取材を受けました。当時は中学3年生で、うれしいなという気持ちが強くて、五輪で戦うというイメージができていなかったと思うんですよ。気づいたら本番になっていて、レース前の練習では、コーチの前で泣いたこともありました」

初めて脚がガタガタガタガタと震える

夢舞台に立つ喜びと緊張で、14歳の少女は感情をうまくコントロールすることができなかった。決勝では50mをトップで折り返すも後半に失速。メダルに届かず、6位に終わった。

「大歓声がすごいし、入場したときから地に足がついていませんでした。初めて脚がガタガタガタガタと震えるという体験をしたんです。とにかく、何も考えずに必死に泳ぎました。自分がどこを泳いでいるのかわからないような状態で、ゴールしたときはホッとしましたね。入場したときから、逃げ出したい気持ちが強かったと、今は思います」

無事に泳ぎ切ったものの、その結果には当然、満足することはできなかった。

「タイムを見た瞬間、呆然となりました。レース後、記者に囲まれたときに泣いてしまって。コーチの顔を見たら、号泣しちゃいました。どちらかというと、つらい思い出で、自分からオリンピックに出た話をすることはありません。なんだか、一瞬で終わってしまって、あまり覚えていないんですよ」

アトランタ五輪は不発だったが、青山はドルフィンキックを駆使して、30m以上を潜行する泳法で世界を席巻した。1998年1月のパース世界選手権女子100mバタフライでは、58秒79の日本新で銀メダルを獲得する。しかし、この大会を最後に、スタートとターン後の潜水が15m以内に距離制限されることになる。

「潜れなくなると記録は落ちるので、ルール規制ができることになって、私のなかでは気持ちの整理がついていたんです。高校1年生のときに出場した世界選手権が潜れる最後の大会なので、コーチと『絶対にメダルを獲ろう』と約束をして、銀メダルを獲得することができました。自分のなかでは、生涯で一番の成績として残っています」

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