「幻のドラフト1位」が選んだ野球と会社人生 元甲子園のスターはどんな財産を得たのか

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「幻のドラフト1位」と呼ばれた男が、三井不動産にいる。ロジスティクス本部ロジスティクス営業部営業グループに所属する、志村亮グループ長(49)だ。

神奈川県藤沢市生まれの志村さん。東京六大学リーグでは5試合連続完封、53イニング連続無失点という記録も持っている

志村さんはサウスポーのエースとして、神奈川県の名門・桐蔭学園高校で1983~84年、甲子園に二度出場。3年生夏の甲子園でベスト16入りを果たした。その後は慶應義塾大学に進み、同大学野球部では開幕カードで56年ぶりの無四球完封劇を演じるなど、数々の東京六大学記録を打ち立てた。日米野球の代表にも2度選ばれ、6~7球団からのスカウトから声がかかっていた。中にはドラフト1位が確実だった球団もあったことから、「幻のドラフト1位」と呼ばれているのだ。 

週刊東洋経済は8月6日号(8月1日発売)で『高校野球 熱狂の表裏』を特集。101年目を迎えた国民的行事を取り上げる中で、かつて高校球児だったビジネスパーソンの野球と会社人生についても迫っている。プロ野球界に入る道を選ばなかった志村さんもその一人だ。現役時代にポーカーフェイスでも知られた本人は、過去の決断を振り返りこう話す。

「自然な転機だった」

「一回だけの人生だから、違うことにも挑戦したかった。プロ野球で活躍し続けるイメージも湧きにくかったし、自分にとっては自然な転機だった」

週刊東洋経済8月6日号(1日発売)の特集は『高校野球 熱狂の表裏』です。画像をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

野球関係者からは惜しむ声がありつつも1989年、硬式野球部のない三井不動産に一般試験で入社。ビルの営業や都市開発の部署を経て、昨年から現職に就く。

とはいえ野球と全く縁を切ったわけではない。三井不動産入社後は一時期クラブチームで選手兼監督を務めたほか、現在は三井不動産の軟式野球チームで大会に出場したり、横浜市戸塚区の軟式少年野球チームの代表兼監督を務めたりしている。「学生時代の負け方が悪いと野球と距離を置いてしまう人もいるが、今でも野球が好きだし、自分は選手としての終わり方が良かった」。その清々しい表情は、一流のスポーツマンとしても、ビジネスマンとしても輝いている。

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