「幻のドラフト1位」が選んだ野球と会社人生 元甲子園のスターはどんな財産を得たのか

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その志村さんが中学校時代に夏の甲子園に足を運んだ際、視線の先にいた憧れの人物がいる。当時1年生ながら早稲田実業のエースとして、チームを準優勝に導いた荒木大輔さん(52)だ。

現在野球解説者の荒木さんは1980年夏の甲子園で1年生ながら4試合完封、44回3分の1連続無失点の活躍で準優勝に導いた

荒木さんは夏春5季連続で甲子園に出場し、1983年にドラフト1位指名で東京ヤクルトスワローズ(当時の球団名はヤクルトスワローズ)へ入団した。1996年に横浜ベイスターズへ移籍し、翌年引退するまでプロ通算39勝49敗の成績を残している。

プロを選ばなかった志村さん、プロを選んだ荒木さん。2人はそれぞれ違う道に進んだが、ともに「高校野球時代の友人が大きな財産」と口を揃える。「桐蔭学園のチームメイトとは毎年、箱根などで忘年会を開いている。17人いた同じ世代のうち、12~13人は必ず集まる」(志村さん)、「みんなが集まったときは辛かったときの練習や、報徳学園や池田高校といった強豪校との戦いが今でも話題になる」(荒木さん)。

2人が学んだのは、「練習の厳しさが今の自分に役立っている」という点だ。志村さんは「高校1年生時代に体験した練習が仲間の間で今も話題に上る」と語り、荒木さんは「うさぎ跳びや夏場にジャケットを着込むランニングのような根性を鍛える練習も、精神的には意味があった」と語る。荒木さんは「サラリーマンは胃に穴が空くストレスの連続だというけれど、高校の仲間たちは頑張っている。逆に野球しか知らない自分が弱いかもしれない」と苦笑いを見せる。

高校野球とプロ野球の違い

高校時代「大ちゃんフィーバー」と呼ばれ世の中の話題をさらった荒木さんも、その後の野球人生は決してバラ色ではない。プロ入り後に右肘など計3回の手術をしているからだ。本人は「高校時代の後遺症があったわけではない」と説明するが、過密な日程には疑念も抱いていた。「夕方に始まる第4試合の後、次の日4時半起床で8時プレーボールというスケジュールをこなしていた。今思えば、体にいいわけがない」。だからこそ今は野球解説者として、高校野球の運営体制に対して、積極的な提言を行っている。

「プロはケガをしてもお客さんが入ればいい。(現在ヤクルトの投手コーチで現役時代高速スライダーが有名だった)伊藤智仁だって、ケガで選手生命は短かったけど、一時期活躍したから名が売れてコーチになった。ただ高校野球はその後選手の寿命が長いのだから、少しでも負担を減らすために、球数制限やタイブレーク制(=9回で試合が決着しない場合、走者を置いた状態で始める制度)を導入したほうがいい」

荒木さんが念頭に置くのは、愛媛・済美高校出身で現在東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する、安樂智大選手(19)だ。安樂選手は2013年春の選抜高校野球大会で大会を通じ772球を投げ、当時「投げすぎではないか」と話題になった。荒木さんはその安樂選手を「彼はまだ高校時代のベストパフォーマンスを超えられていない」と指摘する。志村さんは直接明言していないが、こうしたケガのリスクも、あえてプロ野球を選ばなかった理由に入るのかもしれない。

光もあれば、影もある甲子園。いよいよ8月7日(日)から、全国高等学校野球選手権大会が始まる。今年はどんなドラマが生まれるのだろうか。

二階堂 遼馬 東洋経済 記者

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にかいどう りょうま / Ryoma Nikaido

解説部記者。米国を中心にマクロの政治・経済をカバー。2008年東洋経済新報社入社。化学、外食、ネット業界担当記者と週刊東洋経済編集部を経て現職。週刊東洋経済編集部では産業特集を中心に担当。

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