ハイコンテクストな単一民族社会、
ローコンテクストな他民族社会
ハイコンテクストとは、アメリカの文化人類学者、エドワード・T・ホールが提唱した概念で、社会の中で慣習、言語など文化の共有度が高い状態を指します。日本のような単一民族社会は、このハイコンテクストな状態を維持しやすいわけですね。
対照的に、文化の共有度が低い状態をローコンテクストと呼び、アメリカのような多民族国家はその代表的な例となります。
「皆まで言うな、目を見りゃわかる」。ハイコンテクストな社会のコンテンツは、観客が皆同じような文化風土を持つために、細かいニュアンスも共感してもらいやすい。
AKB48などはまさにそうした風土の典型的な産物であり、あれは見た目がかわいいだけではない。普通の少女が研究生から出発しスターになるまで、その道程をファンが共有し、応援していくからこそ楽しいものなのです。逆にいうと、その文脈を共有していないと、「真のAKB道」は極めることができません。
一方、ローコンテクストな社会では、さまざまな背景を持つお客さんに一発で受容してもらう必要がある。わかりやすく刺激的で、インパクトのあることが重要となります。
K-POPなどは最初から国を越えることが意図されているだけにローコンテクスト的で、見た目も刺激的。たとえば少女時代は「美脚グループ」としてビジュアル面からも記憶しやすいようにプロデュースされていました。
AKB48の場合は、「会いに行けるアイドル」がキャッチフレーズでしたが、交際が発覚すると丸坊主になるなど日本人でも時には退いてしまうそのたたずまいがどこまで国を越えて伝わるか、なかなか難しいところだと思います。
興味を持ってくれた人に、のぞき込んでもらうには強い。しかし国境を越えて、攻め込んでいくのは苦手。
「日本のコンテンツを海外に」とはよく聞く話ですが、こうした特性を理解したうえで考えないと、うまくいかないことでしょう。
もちろんこれは、どちらが優れているという話ではありません。たとえばローコンテクスト社会の権化、アメリカのハリウッド映画は、確かに最強のグローバルコンテンツといえます。しかしその一方で、海外での配給収入を期待するあまりローコンテクスト化が進行しすぎて、「見た目はすごいが、何の印象も残らない」という反省も出てきている。
宮崎駿監督が以前、いたずらに海外を志向するのではなく、まずドメスティックを追求すれば、結局海外にもつながると発言していましたが、さすがに深い知恵だと思います。
撮影:今井康一
【初出:2013.2.16「週刊東洋経済(シェール革命で日本は激変する)」】
(担当者通信欄)
ハイコンテクストとローコンテクスト、どちらを好むかは現在の自分にどのくらい、そのために使える(使いたい)時間があるかどうかにも依存するのかもしれません(とAiR3の堀田先生×本郷先生対談で読んだときに思ったような気がします)。学生の頃に比べると、日々バタバタとするからか、事前準備なしに楽しめるローコンテクストが優勢でハイコンテクスト的なものに費やせる時間が減ってしまったような気がするこの頃です。。
さて、堀田純司先生の「夜明けの自宅警備日誌」の最新の記事は2013年2月18日(月)発売の「週刊東洋経済(特集は、投資の新常識)」で読めます!
【永遠に終わらない昭和の響き】
芸能マスコミの伝統、姓と名の頭から取った愛称の使用について、「いつまでキムタクと呼ぶのか問題」を取り上げます。実は日本人の中の昭和は終わっていないのではないか?
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