民主主義を壊す「コスパ第一主義」という病 日本は「奴隷天国」化している

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白井:はい、何年か前にシラバスに「到達目標」を明記することが徹底化されるようになりました。本当にうんざりする話ですね。こんな状況で僕はあと何年、教師業を続けられるのかと思います。幸い今の職場では、行き過ぎた要求に晒されたりはしていませんが。

内田:現代日本に取りついた病ですよ。

「教育は商品ではない」

白井:ですから、僕は大学の授業で「教育は商品ではない」という話を徹底的にやっています。経験上、ちゃんと聞いていた学生はみんな納得してくれます。コスパに取りつかれるというのは、言い換えれば「すべての交換は等価交換でなければならない」という観念に取りつかれることです。等価交換とは「狭義の交換」であって、互酬・贈与といった別の形態の交換を含む「広義の交換」があることを想像できない状態になってしまっています。僕の考えでは教育とは贈与です。実は、等価交換という資本主義的経済行為は、広義の交換の連鎖によって成り立っている社会全体があってはじめて、その一角で営まれることができるわけです。

このことが想像できなくなった原因は、やはり消費社会化ではないかと思うのです。というのは、消費者の立場に立ったとき、誰しもが最大の関心を持つのは、自分の出した貨幣価値と等しいものが返ってくるか、ということだからです。出したカネよりももっと価値あるものが返って来るならなお良いということになる。

で、こういうダンピング的交換も繰り返されているうちに、それは「正価」だということになる。そのときに、どうしてこの商品がこの価格になるのか、ということはまったく関心の外になります。その商品の背後で、一体どんな無茶があって、どんな環境破壊やら人権抑圧やら搾取やらがあって、この「コスパ」になるのか、考えない。そういった「血の痕跡」はきれいに拭い去られていますから。消費社会化が徹底されて商品の背後を誰ひとり考えなくなってしまったならば、労働者に無限のコストパフォーマンスが追求されて低賃金に苦しむのは、自業自得だということになります。それは、労働者が消費者として活動する局面での行為の帰結にすぎない。

内田:今、日本の企業で「経営努力」というと、ほとんど「コストカット」のことでしょう。 企業だけではなくて、大学でも、「効率化」とか「経営努力」といった言葉ばかりが耳について、「いかにして少ない人数で多くの仕事をこなしていくか」を求められている。教員たちが過労で潰れてゆくのは当然ですよ。

内田 樹 思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授

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うちだ・たつる

1950年東京都生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒業、東京都立大学大学院博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。凱風館館長、多田塾甲南合気会師範。著書に『ためらいの倫理学』(角川文庫)、『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書、第6回小林秀雄賞受賞)、『日本辺境論』(新潮新書)、『街場の天皇論』(東洋経済新報社)などがある。第3回伊丹十三賞受賞。

 

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白井 聡 政治学者、京都精華大学教員

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しらい さとし / Satoshi Shirai

1977年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。3.11を基点に日本現代史を論じた『永続敗戦論 戦後日本の核心』(太田出版、2013年)により、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞などを受賞。その他の著書に『国体論 菊と星条旗』(集英社新書、2018年)、『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社、2020年)などがある。

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