民主主義を壊す「コスパ第一主義」という病 日本は「奴隷天国」化している
内田:確かにその危険は大きいですね。近代市民社会論の基本原理は、「市民が自己利益の安定的な確保のために、私利私欲の追求を部分的に自制して、公的権力に私権の一部を委譲する」ということなわけですけれど、この原理が成り立つのは、市民がひたすらエゴイスティックに私利私欲を求めるのと、私権の一部を公権力に委ねて共同体を安定的に保つのと、どちらが自己利益を増大させるうえで有利かについて、正しい判定ができるくらいには知恵が働くということが前提とされているからですね。市民がバカで、「社会なんかどうなってもいいから、オレだけよければそれでいい」というふうに考えたら、近代市民社会は成立しない。
でも、まさに今の世界では、市民がどんどん幼稚化して、「短期的な私利だけを優先させていると、場合によっては長期的には間尺に合わないことが起きる」という条理がわからなくなっている。このまま市民としての最低限の知性が失われてしまうと、確かに「デモクラシーに未来はない」ですね。
「買い物以外、この世の中で大事なことはない」
白井:バーバーの問題提起は内田先生や私が所々で意見表明してきたことと同じではないかと感じます。こうした重要な出来事については、同時多発的に世界中でいろいろな人が気づくことがありますから。
学生たちを見ていて思うのは、「今、若い人たちが世界から受け取っているのは、『買い物以外、この世の中で大事なことは何ひとつない』というメッセージではないか」ということです。18歳に選挙権が付与されましたが、学校の社会科の先生が、「君たちはもうすぐ投票権を得るんだ。投票というのは大事なことなんだ。国会は国権の最高機関であり、君たちは主権者だ」と一生懸命言ったとしても、生徒たちは学校の外に一歩出た瞬間、「この世の中には買い物以外に重要なことは何ひとつありません」というメッセージを、四方八方から受けるわけです。絨毯爆撃に遭っていると言ってもいいくらいです。そうなると先生が何をいくら言っても、虚しいことになってしまう。
ジョージ・カーリンという米国のコメディアンが「どうでもいいモノを借金してまで買いまくるようにさせたいのだから、そりゃ賢くなってもらっちゃ困るだろ!」とズバリ言っていましたが、そういう形で「愚民化」あるいは「B層化」を進め、その対象になっている人たちからできるだけ多くを搾り取ることが、消費社会におけるマーケティング戦略の根本になっている。この構図の中では、「市民」なるものはどこにも存在しません。