民主主義を壊す「コスパ第一主義」という病 日本は「奴隷天国」化している
ちなみに、以前旅行代理店の方と話した時に「どうして東京行きの格安高速バスの終着点が東京ディズニーランドであることが多いのか」という話を聞いたことがあります。2012年に関越道で大事故を起こしたバスは、ディズニーリゾート行きでした。それは、ディズニーランドに行きたい客が多いからだけではなく、他の場所に比べて大型車の駐車料金が安いからだそうです。ですから、過酷なシフトで疲れ切ったバスの運転手が、ディズニーランドの駐車場の車内で死んだように寝ている。「夢の国」から一歩出た先にはそのような現実がある。このとてつもないアンバランスが事実上のバランスとなって成り立っているのが、現代の消費社会ですね。
おカネを使うことだけが生きている実感
白井:高橋若木さんという若い政治学者の方が、こういう話をしていました。今の若年層は、宿命論的世界観のなかにとらわれている、と。その宿命とは、端的にカネの多寡のことなのか。だとすれば、それこそ与沢翼氏のように、なりふり構わずひたすらカネを追求して、宿命を覆すという手もありますが、そういう雰囲気でもない。消費が自己の価値表示だという感覚も、バブル時代の遺物として軽蔑の対象になっていると思われます。
ですから、今非常につかみどころのない状態になっているのではないでしょうか。顕示的消費で自己実現するのが幸福だなどという感覚は、若年層の経済状態からしてあり得ない。しかし、その一方で消費社会のロジックから脱出しつつあるのかと言えば、そうでもない。
いずれにせよ、おそろしく受動的になっているということであり、この受動性こそ消費社会が作り出したものかもしれない。
そういうなかで、新しい価値観を打ち出そうとしている人もいます。栗原康君という僕の大学時代の後輩がいて、大杉栄の研究者なんですが、早稲田の大学院に進んで博士課程まで修了したものの、諸々の事情があって、博士論文が出せないでいるんです。今は非常勤講師で、年収が80万円ぐらいしかない。
内田:80万円か……。壮絶だなあ。
白井:最近では『現代暴力論』(角川新書)や『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店)など、書いたものがかなり話題を集めていて仕事が増えてきたでしょうから、収入も上がってきたかとは思うんですが、基本的に引退した親の年金に頼って暮らしている状態だと自身で書いています。その彼が、『はたらかないで、たらふく食べたい』(タバブックス)というけしからん題名の本を書いているんですよ(笑)。
内田:題名から察するに、彼は「働いていない、稼いでいない」という、自分の置かれた状況を肯定しているわけですね。