民主主義を壊す「コスパ第一主義」という病 日本は「奴隷天国」化している
内田:カネが人間的価値の査定基準になると、「払ったカネに対してどれだけの見返りがあるか」ということについて神経質になりますね。費用対効果、いわゆる「コスパ」というやつですね。これ、ずいぶんうるさく言われるようになりましたね。
「コスパ」という病
白井:確かにインターネットのサイトなどを見ていても、やたらに「コスパ」という言葉が出てきますね。
内田:コストパフォーマンスというのは、支払った貨幣に対して、それにふさわしい財貨やサービスが手に入ったかどうか、それを気遣うことですよね。でも、もとが貨幣という数値なので、「それにふさわしい」ものも数値で示されないと、「費用対効果」がわからない。100円払ったのに、200円分のものが来たら、「コスパよかった」、80円分だったら「コスパ悪かった」というふうに判定するわけですから、手に入れるものも数値的にわかりやすく値札をつけて並べておかないといけない。だから、どういう活動をしていても、先方が貨幣を出してきた場合には、こちらも「数値で価値を表示できるもの」を交換に差し出さないといけないことになる。おカネを出してきた相手に、「なんだかわけのわからないもの」を出すと反社会的だということになる。
よく「幸運のペンダント」とか「教祖さまの気が入った水晶玉」とかにとんでもない値段がついているのを「よろしくない」と怒る人がいますけれど、あれは別にそれに効能がないと知っているから「詐欺だ」と批判しているわけじゃないと思うんです。デジタルな貨幣に対して「効果が数値的に表示されないもの」を交換に差し出すことに腹を立てているんだと思う。たぶん。だって、「幸運のペンダント」では絶対に幸運になれないなんて、誰にも証明できませんからね。
私が運営する合気道の道場でもそうなんですよ。女性の門人が「少年部を作りたい」と言うので、「どうぞ」ということで始めてもらったんです。小さな子どもたちを集めて合気道を教えた。そのときに彼女から「級を出してもいいですか」と聞かれた。合気会の公式な級位は5級からなんですけれど、子どもたちですからローカルな級位を作ってもいいかなと思って、「いいよ」と言いました。そして、10級から6級まで作って、級が変わると帯の色が変わるシステムを採用した。それからしばらくして、今度は彼女が困った顔をして、「あの……親御さんから、6級から10級のような大雑把な級では困る。もっと細分化してくれという要求があったので、10のCから6のAまで、15段階に分けた」という報告を受けました。
僕はこれにはさすがに驚きました。だって、子どもが武道の稽古をちゃんとやっていれば、その変化なんて親にはわかるじゃないですか。体が大きくなってきたとか、よく飯を食うとか、よく寝るとか。見てればわかるでしょ。でも、それでは満足できないらしい。子どもの心身の変化を数値的に表示することを要求してきた。客観的な査定を受けて、それを数値で表示してもらわないと投下した月謝のコスパがわからないから。