新日本プロレスが目指すのは、最強より最高 木谷高明・新日本プロレス会長に直撃(その3)

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グローバル化の進展により、国の枠を超えて活躍する「グローバルエリート」が生まれている。しかし、そのリアルな姿はなかなか伝わってこない。グローバルエリートたちは何を考え、何に悩み、どんな日々を送っているのか? 日本生まれの韓国人であり、国際金融マンとして、シンガポール、香港、欧州を舞台に活動する著者が、経済、ビジネス、キャリア、そして、身近な生活ネタを縦横無尽につづる。
木谷高明会長が「アートを感じる」と話す、オカダ・カズチカ選手のドロップキック  (C)NJPW

1月18日のコラムでは、新日本プロレスの経営改革について、プロレスの歴史などと絡めながら、分析を行った。その続編として、4日連続して、木谷高明・新日本プロレス会長への直撃インタビューをお届けする。

※過去のインタビューはこちら:第1回第2回

最強から最高に

キム:今回は、今後、新日本プロレスをどう打ち出していかれるのかについてお伺いさせてください。今までのような、あいまいな定義でやっていくのでしょうか、それとも、どこかの段階で明確にプロレスの定義を打ち出すのでしょうか。ちょっとコアな話になってきましたけど、いかがでしょう

木谷:僕はしばらくはあいまいなままでいいと思うんです。そう言ってくれるファンの人もいます。かつては総合格闘技もなかったので、プロレスの中でみんな最強を求めていたんですよ。その時代は90年代で終わったかな、と思います。

総合格闘技のPRIDEが台頭してUFC(米ズッファLLCが運営する総合格闘技の大会)がこれだけ伸びて、「最強」から「最高」を求める時代に変化してきたわけです。

その「最高」の部分は何かと言えば、僕はアートだと思う。

実は、去年ずっと新日本プロレスに対して、「物足りない、物足りない」と言い続けていたんですが、それはアートの部分が少なかったからです。基本的にプロレスはワークなんですが、1割か2割はアートであってほしいんですね。

アートとワークと何が違うかというと、生き様が出ているかどうかです。アートを見たときは、こちらも感動するわけですよ。

キム:最近はどの選手や試合にアートを感じられましたか?

木谷:1つは、昨年大活躍したオカダ選手のドロップキックですね。あれはもうアートですね。技としてアートなんですよ。

棚橋選手の男泣き (C)NJPW

そして、生き様としてアートを感じたのは、昨年6月16日の大阪府立体育館で、タイトルを取った棚橋選手が超満員の会場を見て、涙を流しながら「この光景が見たかったんです」と言ったときですね。

7年間、観客が入らないときも辛抱して頑張ってきた、どん底から頑張ってきたという、その生き様とその言葉にやっぱりアートを感じるわけですよ。だからみんな感動して、一緒にもらい泣きした人もいる。そういう部分がまだ少ないんですよね。

キム:なるほど。プロレスは何を売っているのかという、本質的なポイントにつながる話ですね。

今回、会場に行かせていただいて、周りの記者の方にも突撃取材しました。たまたま隣にいた女性の記者の方が、非常にきれいだったんですね。ブシロードの取材をしている方だったんですが、「プロレスの魅力って何ですか」と聞いてみたところ、しばらく考えた後に、「やっぱり生き様ですかね」と答えてくれました。ひたむきにプロレスに向き合う姿勢や、挫折から努力してはい上がる様など、プロレスに生き様としてのアートを求めている人も多いんですね。

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