ルールを学ぶだけでは英語はできるようにならない
では、子供のように自然に習得するのが無理なのであればどうすればいいのでしょうか?
そこで、私の周りの英語の達人や、私の生徒たちが英語を学ぶ中で行っている方法、また私が体験的に確立してきた、私なりの言語習得の大原則についてお話ししたいと思います。
どの言語でも、言語の型はすでに「文法」や「発音記号」などを通じて体系化されているわけですから、第二言語の場合は、修得期間を短縮するためにこれらのルールを、先に強制注入します。つまり、子供が何年間もかけて発見するルールを先に入れてしまうわけです。しかし、ルールを入れただけでは、全く自動化されていない状態ですから、これを反復練習によって反射神経に変えていかなければなりません。
日本の英語教育では、この反復練習の部分が大きく欠けていることが多いのです。
たとえば、たしかに文法を学ぶことは必要ではありますが、その文法自体を分析することに終始するあまりに「使う」という視点が欠如してしまっているわけです。特に、予備校や塾の教育にこの傾向が強いように思います。
英語ができるようになるために、最も重視すべきことは、結果としての「型」を学ぶことではなく、それを「自動化」することなのです。
英語をマスターするカギは「自動化訓練」だ
さて、ここまでの話をまとめると、第一言語の修得は、「試行錯誤という訓練の繰り返しにより、ルールの修得と自動化を時間をかけて併行させる」、第二言語の場合には「ルールを先に注入して、それを訓練により自動化することによって効率よく学ぶ」ということになります。
もっと、わかりやすく説明すると、第二言語の習得はピアノなどの楽器を演奏の修得によく似ています。指に、普段の生活では全くなじみのない、不自然な動きをさせるのは、外国語学習にそっくりです。
さて、演奏を修得するためには、まずは、譜面を理解したり、暗記したりしなければなりません。しかし、譜面の分析や暗記をひたすら続けて、理解でき、暗記した楽譜の量を増やしていっても、難しい楽譜が読めるようになっても、ピアノ自体は弾けるようになりません。
文法や構文、発音のルールもこれと同じで、難しいものを理解し、暗記したからといって、英語ができるようにはならないわけです。
しかし、残念なことに、日本では昔から、いわば「机で譜面を勉強する、ピアノができない楽譜評論家」を育てるような英語教育がされているように思えます。
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