18歳で当時付き合っていた(というかおそらくヒモの)インディーズバンドのメンバーと同棲を開始、2年後に子供ができたが、切迫早産で入院中の37週目で死産。バンドをやめた彼と一緒に彼の実家(父子家庭)に身を預けたころから、デリヘルに加えて個人的に携帯の出会い系サイトを使った売春を始め、数グループの援デリに所属し、今に至るという。
その間、客の子供を妊娠して3度の中絶手術を受けた。
こうした取材を続けていれば何度もお目にかかる、あまりにもありふれたライフストーリーではあった。
「瑠衣さんはどうしたい?」
「とりあえず死にたい。生きてる意味ない。次、携帯止まったら死ぬ」
先ほど大急ぎで支払いに行ったのは携帯料金か。
「少なくとも今、瑠衣さんには自分が払う責任のある借金はないと思うよ。ホストの彼氏の肩代わりなんかしなくていいでしょ」
「バックレたら二度と埼玉のホスクラで遊べない。ホスクラでも行かなきゃ、誰もウチのことなんか本気で相手してくれない。鈴木さんも仕事だからウチの話聞いてるんしょ? つうか、なんかしてくれるっていうならお店(風俗店)紹介してくれるか、婚活手伝って。ノッツェ(婚活サイト)ってどうなのノッツェって、知ってるノッツェ?」
さあ参った。どうしよう。などと思っているうちに、情けないことに僕自身が脳梗塞で倒れてしまった。取材は中断。昨年のことである。
くだんの援デリ業者の報告によれば、瑠衣さんはその後、母親と弟の住むアパートに戻って、弟の障害者年金や生活保護費を横取りして暮らしているという。その話もまた、どこまでウソだか本当だかわからない。
貧困者を安易にコンテンツ化してはならない
この「面倒くさい」「手に負えない」「出口見えない」を絵にかいたような瑠衣さんは、まさに僕の主張したい「貧困の当事者を安易にコンテンツ化してはならない」のサンプルケースとして、あえて描かせていただいた。
もちろん、当事者の特定ができないよう、瑠衣さん自身が記事を読んで傷つかないよう、いくつもの取材対象者の話を組み合わせ、設定や環境を改変しているが、個々のディテールはすべて実在の人物取材によるものだ(ホークちゃんのコードネームも、近しい状況にある別の取材対象者のものを転用した)。
ようやく提言に移りたい。初回の取材で、瑠衣さんが新聞やテレビなどのメジャーメディアの取材線上に引っかからなくてよかったと思ったのには、いくつもの理由がある。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら