そして指導者が、自分はみんなのために死ぬという覚悟を、部下のために死ぬという覚悟を持っていれば、それはみんなにわかるものである。それがなければ、みんなが心から敬服してついていくというようにはならない。山岡鉄舟が清水の次郎長に尋ねた。
上司、かくあるべし
「お前のためならと命を投げ出す子分はいったい何人くらいおるか」と。すると次郎長は「一人もおりません。しかし、あっしは子分のためには、いつでも死にます」と答えたという。上司、かくあるべしだろう。
また、秀吉が毛利と戦ったとき、高松城を水攻めにした。長大な堤を築き、近くの川の水を流し込んで城の周囲を湖と化したのである。秀吉の大軍に囲まれ、水のため援軍の手も絶たれた高松城では、食料もつき果て、城兵はただ死を待つのみという状態に陥った。
そのとき、城の守将である清水宗(むね)治(はる)は、自分の首とひきかえに城兵の命を助けるという、秀吉の講和条件に喜んで応じた。そして、みずから船をこぎ出し、敵味方の見守るなかで、従容(しょうよう)として切腹したと伝えられている。部下の命を救うということが、戦国の武将としての一つの心がまえだったのである。
よく「一将功成りて万骨枯る」ということがいわれる。しかし、ただ何もなくて万骨が一将のために命を捨てるものでもないだろう。そのうらには、清水宗治のように、戦い利あらざる時は、責任を一身ににない、自分の命を捨てて部下の命を助けるという大将の心意気という責任感があって、それが部下をして身命を賭(と)してまで働かせる力になったわけである。
このことは今日の指導者にも基本的に通じることだと思う。幸い今日の時代においては、実際に命をとられるということは滅多にない。しかし、いわばそれほどの思いをもって事にあたらなければ、成功は期し得ないのである。「責任はおれが取る」と言う上司が、経営者が、いまどれほどいるのだろうか。
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