経営者は、数人、数百人、数万人の社員とその家族の生活を、あるときには生命すら左右する存在である。だとすれば、「経営者は仕事に没頭し、人生から仕事を引いたらゼロになってもいい」というほどの覚悟と実践がなければならない。そしてまた、それだけの価値があるものなのだということを松下は体現し、経営のために命を落としても、それは本望であると考えていた。
そういうことでは身がもたないという人は、およそ経営者になるべきではない。ひとつの会社のなかで全員がそう考えるべきだとは言わない。しかし、少なくとも会社の最高の指導者になった人たちには、その覚悟がいる。他の社員と同じように、遊びに行きます、休みもとります、ということではどうにもならない。
組織の最高指導者ぐらいは先憂後楽の心掛けが必要
「先憂後楽(せんゆうこうらく)という言葉があるやろ。せめて一つの組織の最高指導者ぐらいは、先憂後楽の心掛けで、その会社に命をかける思いがなければ、経営はうまくいかんね。社員と同じように、遊びとか休みとか言っておって、なおかつ経営が成功するなどということはありえないことや。経営というのはそんな簡単なものではないわ」
およそ経営者たる者は、「人より先に憂い、人よりも後に楽しむ」ということでなければならない。人が遊んでいても自分は常に働いている。遊んでいるようでも頭は常に働いている。先憂の志があればそうなるものである。先憂を広義に解釈すれば、発意ということにもなる。誰よりも先に発意し、案ずるものを持たなければいけない。
ある講演では次のように話した。
「自分はこの仕事に命をかけてやっているのかどうかと、これまで困難な問題に出くわすたびに自問自答してきました。そうすると、非常に煩悶(はんもん)の多いときに感じることは、命をかけるようなところがどうもなかったように思われるのです。それで、心を入れかえてその困難に向かっていきました。
そうすると、そこに勇気がわき、困難も困難とならず、新しい創意工夫も次つぎと起こってくるのです。そういう体験をたくさん持っています」
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