「このあたりはわしの土地や。これから行く料理屋さんもわしのもんや」
昼の食事をするために、車で出かけたときのことであった。松下のそばで仕事をするようになってまだ2、3年の頃である。6月であったが、街中から郊外へでると緑の木々がとりわけ美しい。京都の北西、嵯峨鳥居本にある平野屋は有名な鮎料理屋で、若い私にはなかなか行けないところであった。そろそろ着こうというころ、突然に松下はにっこり笑ってそう言った。
自分のものだと思えば愉快
私はその言葉を聞いて、さすがは天下の松下幸之助だ、と心の中で思いながら「そうですか」と返事をした。途端に、今度は声を出して笑いながら、「なあ、きみ、そう考えたら気が大きくならんか。心が大きくならんか。そういうふうに思ったほうが面白いやろ」と言う。
返事に窮している私に松下は次のように言った。
「もちろん、このあたりの土地も、これから行く料理屋さんも、わしのもんではない。けどな、そう考えたら愉快やで。この土地は自分のものやけど、自分は電器屋を中心にして仕事をやっておるから、このあたりの土地まで管理するというようなことはできない。そこで他の人にお願いして、この土地の面倒をみてもらっている。
そう考えれば、きみ、こういうところを通っていても、きれいに使おう、静かに走ろう、他の車に迷惑をかけたりしないようにしようと思う。ましてや、ごみを捨てたり、枝や花を折ったりはできん。自分の庭やからね。自分のものを他の人がお世話してくれているんやから、自然とそういう心持ちになるわけやな。
これから出かける料理屋さんも、自分の料理屋さんから、代金は払わんでもええわね。それではただで帰って来れるかというと、そうはいかんわな。自分のお店をその人たちに頼んで、日々一生懸命にやってもらっておるのやから、日ごろの努力、今日のもてなしを思えば、それなりのお礼を差し上げなければいかん。そう考えれば、お店の人に感謝の気持ちもわいてくるし、思わずやさしい一言も出てくる。どや、気分が大きくならんか、きみ」
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