ユニクロも僕も大変、でも今は大チャンス 柳井氏後継候補の1人 堂前宣夫 (上)

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現在の管轄は欧米が主体だ。国内やアジアでは高いブランド力を誇るFRだが、欧米でのプレゼンスはまだまだ。その意味で、課されたハードルはとてつもなく高い。堂前は、東京大学大学院の電子工学修士課程を修了している。その後、マッキンゼーでコンサルタント業務に従事、そしてFRへ。典型的な理系のトップエリートであり、本人も当初は「人工知能の研究者を目指していた」という。それが、なぜコンサルタントを経て、そのうえまったく業種の異なるユニクロに身を投じたのか。まずはFR入社までを駆け足で振り返ろう。

学生時代は「神童」扱いされていたはずだが、「ごくごく普通の学生だった」とサラリとかわす。実家はくしくもFR創業の地、山口県。そこから広島県にある私立の中高一貫校に6年間通い「自由な学生時代」を過ごしていたという。東京大学(理科1類)に入学後は、「音楽を聴くのが好きで、ハードな80年代ロック系バンドにはまっていた」。電子楽器好きが高じて、大学では電気電子工学を専門に、そして学び足りず、大学院へ。大学院では情報処理系の人工知能の研究に没頭、研究者を目指していた。

そんな堂前が最初の仕事に選んだのは意外にも世界一の戦略コンサルタントファームであるマッキンゼーだった。修士1年の終わりに同社のインターンプログラムに参加したことがきっかけで、コンサルティングの面白さに魅せられ、修士課程修了後にそのまま入社した。

しかし、入社後は「つらかった」という。何せ経済も、経営に携わることもまったくやったことがなかった。「粗利という言葉も、PL(損益計算書)の見方も知らない。ましてや英語で配られるメモは魔法の言葉に等しかった」。それでも人一倍勉強をし続けることで、数々のコンサルティングで成果を出した。「本当にできる人は経験だけから学ぶことができるけど、僕はとことん勉強もしないと学べない。密度はすごく濃かったですけど、今じゃもう許されないような超長時間労働もしました」。

圧倒的エネルギーを持った「オヤジ」に惚れた

マッキンゼーでのプロジェクトは長くても1年。5年間コンサルタントを続けるうちに、しだい長期で、かつコンサルとしてではなく、事業会社で仕事をしてみたいと思うようになっていった。 ではなぜ畑違いの「ユニクロ」を選んだのか。「まったくの縁で、就職紹介会社によるただの中途入社」という。

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